ぼくの通っていた都立日比谷高校では、いくつかの教科に「発表授業」というものがあって、生徒が二人一組になって100分間の授業を担当するということがしばしば行われていた。
一年生のとき、政治経済で発表授業をすることになった。
級友の秀才トミタくんが眼鏡ごしに目をキラリとさせて、「ねえ、ウチダくん、自衛隊について発表しないか?」と提案してきた。
うん、いいよ、とぼくは答えた。
さっそく二人で図書館にこもって自衛隊に関する基礎的なデータを集め、自衛隊についての賛否の政策的議論を調べた。
だいたい調べがついたところで、トミタくんがふたたび目をキラリとさせて「実際に防衛庁に行って話をきいてみよう」と言ってきた。
自衛隊に? どうやって?
「うん、あてがあるんだ」とトミタくんは静かに笑った。
数日後、ぼくとトミタくんは一緒に六本木の防衛庁を訪れた。
門衛に名前をつげると、門衛の兵士は直立不動でぼくたちに敬礼をした。
制服の士官に執務室に案内されると、スーツをきた端正な風貌の中年の紳士が立ってていねいに挨拶をしてくれた。
「父だよ」とトミタ君が紹介してくれた。
トミタくんのお父さんは防衛庁にお勤めだったのである。
お父さんが手配してくれたので、ぼくたちは防衛庁内部を制服士官の案内で視察し、たくさんの資料を頂いて、内容の濃い発表授業を行うことができた。
それからしばらくして、トミタくんのお父さんは警察庁に移動した。
もともと警察官僚だったので、古巣に戻ったのである。
それからしばらくして、トミタくんのお父さんは宮内庁長官になった。
そのときにはじめてある種の超高級官僚は、警察と自衛隊と宮内庁を結ぶネットワークをコーディネイトすることを主務としているのだということを知った。
考えてみれば、当然のことである。
そのトライアングルこそが旧称でいわれたところの「國體」の中枢なのだから。
そのトライアングルの管理者に求められるのがどのような人間的資質であるかはぼくにも想像がつく。
恐ろしく頭が切れて、決して感情的にならず、私利私欲がなく、トップシークレットを供与する無数の「アセット」を国内外に有していながら、その情報を利用することを出来る限り自制できる人でなければ「こんな仕事」は務まらない。
警察と自衛隊と天皇制をむすぶネットワークの中枢にいた富田朝彦氏のもとにどれほどの質と量の情報が届けられたのか、とてもぼくには想像がつかない。
そのほとんどは「墓場まで持ってゆくしかない」種類の情報だったはずである。
そして、現に富田氏はそれを墓場まで持って行った。
たまたま、そのうちのひとつがぽろりとこぼれた。
それだけで靖国問題についての世論の動向がこれだけ振れた。
いまでも新聞にその名前を見るたびに、40年前に執務室に差し込んでいたあわい冬の日差しを背にしたシルエットを思い出す。
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(2006-07-24 21:57)