日曜だから原稿でも書こう(って先週も言ってたな)

2006-07-23 dimanche

ひさしぶりのオフなので、午まで寝て、家でごろごろしていたら、佐々木修一くんから電話がかかってきた。
修一は1970年代のなかばごろ、尾山台の小さなマンションで私が妻とふたりで暮らしていた頃に家によく出入りしていた「近所のナマイキ高校生」である。
「あんな連中とつきあっているとろくなことにならない」と彼の周囲の大人たちはたしなめていたが、これはもちろん周囲の大人たちが正しい。
大人のいうことは聴いておくものである。
さいわい、私は89年に東京を離れたので、修一も私の悪影響をまぬかれて、その後は(たぶん)まっとうな人生を歩んだはずである。
かつての高校生も、きけばもう44歳だそうである。
まあ、そうか。
でも、年月の経つのは早いものである。
仕事仲間の読書家から「ウチダイツキって知ってる?」と訊かれたので、「ウチダタツルなら知ってるよ。読んだことないけど・・・」と答えたそうである。
西宮に引っ越すことになったから、また会おうよというので、「おう、いいぜ。一杯酌み交わそう」ということになる。

そのあとばたばたと原稿を書く。
岩波書店の身体論をまず書き上げる。
これは三月末が締め切りでちゃんと締め切りに原稿を送ったのだが、「話がくどい」とクレームがついたので書き直しをすることにした(ほんとうのことなので反論しない)。
どうせ他の書き手も締め切り守ってないだろうとそのままほうっておいたら、さすがに七月になって、「もういい加減原稿送ってください」と言ってきたので、昨日今日でソッコーで書き直したのである。
そしたら、全然前の原稿と違う話になってしまった。
ま、いいか。
次に幻冬舎から出る加藤典洋さんの『村上春樹イエローページ2』の「解説」に取りかかる。
加藤さんは文藝春秋の『本の話』8月号に『私家版・ユダヤ文化論』の書評を書いてくれた。
加藤さんの書評の書き出しは、「昨年、内田樹がこの本のもとになる『私家版・ユダヤ文化論』を『文學界』に連載しはじめたとき、なぜいまユダヤ文化が問題なのか、うろんな筆者にはよくわからなかった」というものである。
加藤さん、それは加藤さんが正しい。
ぜんぜん「ユダヤ文化論」は「いま」問題だったのではないんですから。
『文學界』が連載をと言ってきたとき、たまたま大学の講義ノートがあったので、「ありものでよければ・・・」と急場をしのいだのである。
ところが連載が進んでくるうちに、「ありもの」のノートが底をつき、しかたなく毎月締め切り間際に必死になって思いつくまま書き飛ばした。
ネタが切れたので思いつくまま書き飛ばしているうちに、自分でも何を書いているのかわけのわからないことをずるずる書いてしまったのである。
その消息も加藤さんはみごとに看破して、書評の最後にちゃんとこう書いている。
「何より、著者にとって、画期的。それがこの本の偉いところであると思う。」
書き手が「なるほど、そういうことが言いたかったのか」と自分の書いたものを読んで得心するというのは(自分でいうのもなんですけど)だいたいよい本である。
書評に気をよくして、では私も『イエローページ』をめくって、「この本の偉いところ」をさくさくと書く。
相手があの加藤典洋さんなので、「偉いところ」を探すのは苦もないことである。
しかし、あまりほめてばかりも、芸がない。
芸がないのは(真実だから)かまわないのだが、加藤さんに「ウチダって芸のないやつだな」と思われるのは困る。
このあたりの湯加減が悩ましい。
うう。
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