比叡山延暦寺で『翁』を見る

2006-07-20 jeudi

ばたばたと会議を三つ終わらせてJRで京都へ。
京都駅からタクシーに乗って、比叡山延暦寺根本中堂まで上る。
京都駅から延暦寺まで、どれくらいの距離があるのか、京都にうとい私には想像がつかない。
西塔の傍らに住む武蔵坊弁慶が夜な夜な五条大橋まで出向いたと『橋弁慶』にはあるから、大人の足で2,3時間・・・まあ10キロくらいのものであろうと高をくくっていたが、まるで勘違い。
なんと延暦寺は滋賀県にあったのである。
約45分ほどで根本中堂にたどりつく。
さいわい朝からの大雨は上がって、青空が見える。
琵琶湖が一望。
『平家物語』を読むと、「叡山から坂本に落ちる」という表現が何度も出てくる。たしかにこれは「落ちる」だよなと思う。
ぼおっと琵琶湖を眺めていたら、前方で「爆発ヘアー」の男性がデジカメで杉林を撮影している。
手を振ると向こうも手を振り返してくれる。
茂木健一郎さんである。
今日は根本中堂まで梅若六郎さんの『翁』を見に来たのである。
企画したのは橋本麻里さん。
ご一緒させてもらったのは茂木さんの他に、杉本博司画伯、ギャラリー小柳の小柳敦子さん、上智大学の黒川由紀子さん、デザイナーの原研哉さん、それに武者小路千家の若宗匠千宗屋さん。
茂木さんとは香住に続いて三回目。
千さんとは「高橋源一郎さん、加藤典洋さんと一緒に鈴木晶さんの家のワインセラーのワインを飲み干す会」以来二年ぶり。
ほかのアート系の方々は初対面である。
茂木さんは「理系なのにアート系」だし、千さんは芸術鑑賞と「パトロナージュ」が家業であるので、要するに私ひとりが「文系非アート」なのである。
みなさんの話題についていけない・・・と思ったが、さすが橋本さんがアレンジしただけあって、全員「とっても大人」なので、白鳥の群れに紛れ込んだアヒルの子のレベルに話を合わせてくれる(やさしい人たちである)。

根本中堂に着くと、なんと一番前の席。
橋本さんは各界に「アセット」を送り込んでいるので、こういうときにかねて用意のスパイ網が機能するのである。
若いのにたいしたものである。
いったいどこまでネットワークが拡がっているのか、私のような田夫野人には想像も及ばない。
舞台横に座り込んでわくわくしていると、「あら先生!」と声がかかる。
振り向くと、魔性の女フジモトと「えくぼがキュートな」スナモトさんのコンビである。
魔性の女、神出鬼没。
でも、どうして私がここにいることを知っているのだ?
そういえば、しばらく前に茂木さんと橋本さんが西本願寺に行ったときに、フジモトが飛雲閣を案内した・・という話を漏れ聞いた。
おそらくそのおりに「橋本-フジモト」のホットラインが形成されたのであろう。
うーむ、このラインは強力だ。
ここを行き交う「ここだけの話情報」の量と質を想像すると気が遠くなりそうである。
それに先般、祇園祭のおりには「アダチマホ-ウッキー」ホットラインが形成されたとの報告があった。
このようなラインを放置しておいた日には、私の芦屋における常住坐臥はあっというまに東京の編集者たちの知るところとなってしまうではないか。
ああ、どうすればいいのか。
困った。

『翁』が始まる。
三番叟は野村万作、「大黒風流」という寸劇が入り、大黒は野村萬斎。
私と茂木さんの前にずらり囃子方が並んでいる。
能管なんか私の顔の前である。
「ぴー!」という音が右の耳から左の耳に抜けると、脳がほんとに「きーん」と鳴る。
小鼓は大倉源次郎家元が頭取で、清水浩祐さん、吉阪一郎さんのおなじみ関西トリオ。大鼓は亀井広忠さん(彼が今回のチケットを手配してくれたのである。どうもありがとうございました)。私の脳をシェイクしてくれた能管は杉信太朗さん。
『翁』は何度も見ているが、今回は三番叟という舞の土俗性を改めて痛感した。
根本中堂の霊気とわずかな燈明だけの暗闇の中での三番叟である。
能としては例外的にアーシーな笛の旋律がエンドレスに繰り返され、三番叟が「きゃー」と猿の啼き声に似たケダモノじみた声を上げて拍子を踏む。
それにあわせて呼吸し、拍動しているうちに、いつのまにか私たちも軽い「トランス状態」に入っている。
古代における能楽というのは「こういうもの」かということがわずかなりとも想像せられたのである。
終演後、タクシー二台に分乗して一路祇園へ。
「楽々」という割烹に千さんにご案内いただき、冷たいビールで乾杯してから、鮎や鴨など美味しいものをうまいうまいと貪り食いつつ、奇想天外なる画壇事情を「へえ〜」とひたすら愕きつつ伺ううちに、しんしんと祇園の夜はふけてゆくのであった。
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