九条どうでしょう同窓会

2006-07-18 mardi

町山智浩さんがオークランドから一時帰国されたので、ついに『九条どうでしょう』の共著者4名が一堂に会す「出版記念パーティ」が毎日新聞のナカノさんの仕切りで開かれることになった。
せっかく上京するのだから、ついでに平川くんと3時間ほど『東京ファイティングキッズ2』の巻末対談も収録しちゃおうということになる。
午後2時すぎに学士会館ロビーで待ち合わせ。
コーヒーを飲みながら2時間ほど言いたい放題。
MD レコーダーが「ぶちん」と切れたので、「まあ、これだけしゃべればいいよね」ということで終了。
江さんとかうちの兄ちゃんとか身内の人の話ばかりなので、彼らを知らない読者が読んで話の意味がわかるかどうかいささか心配であるが、「言いたいことがリアルであればあるほど、話の意味は理解しがたいものになる」というのが本日のテーマであったので、趣旨との齟齬はないのである。

雨の中を六本木へ。
六本木って、来ることないなあ。
地の気が悪いからね。
おお、あれが六本木ヒルズか・・・禍々しい建物だな。巨大な墓石みたいだぜ。
ゴジラが最初に壊しそうだな。
とぶつぶつぼやきながら、会場の中華料理屋がまだ準備中だったので、しかたなく雨宿りに六本木ヒルズに入る。
おおお、瘴気に満ちているぜ。
こんなところに住めるやつの気が知れないなあ。
みんな不機嫌な顔してるねえ。
やだやだ。

20分ほどお茶をしてから早々に逃げ出して会場へ。
定刻に小田嶋隆、町山智浩のご両人が登場して、ここに『九条どうでしょう』の執筆陣が「はじめまして」の名刺交換。
小田嶋、町山は私が「日本を代表する批評的知性」と尊称を奉っている、ひさしい「アイドル」である。
私が小田嶋さんのファンになったのは小田嶋さんが『シティロード』にエッセイを書いていた頃からだから、80年代のはじめころである。
20年来の愛読者なのである。
私が文体上もっとも大きな影響を受けた日本人の書き手は、6歳年下のこの天才である。
小田嶋さんは25歳のときにすでにいまと同じような文体で書いていた。
だから、「若書き」というものがない。二十代ですでに自分の「ヴォイス」を発見していたのである。
『クローサー』の中でロンドンの新聞の死亡欄担当の記者であるジュード・ロウがナタリー・ポートマンに「ぼくはまだ自分のヴォイスを発見していないんだ」と語る場面がある。
この感じはよくわかる。
「ヴォイス」というのは水道管に取り付ける「蛇口」のようなものだ。
それを取り付けさえすれば、あとは「蛇口」をひねるだけでいくらでも「水」が出てくる。
けれども、「これが自分の『ヴォイス』だ」と思ったものがそうでない場合がある。
「そうでない場合がある」というより、実は「ほとんどの場合がそう」なのである。
その「蛇口」からはたしかにいくらでも水が出てくるように思える。
だが、よく味わってみると「全部同じ味」がする。
同じ味どころか、だんだん味が劣化して、奇妙な腐臭さえ漂ってくる。
よく見ると、「蛇口」が水道管にではなく、自分のシンクの「排水口」に繋がっていたのである・・・
若くして自分の「ヴォイス」を発見したと思っている人の多くは、気づかないうちに、「排水口」に「蛇口」をつないでしまう。
そうやって「自己模倣」の檻の虜囚となる。
このピットフォールから逃れるためには「ヴォイス」そのもののうちに自己否定の契機がはらまれていなければならない。
「自己否定」といっても、単に書くたびに「ああ、違う。オレが書きたいのはこんなことじゃない」と髪の毛をかきむしるのとは違う(そんなことをしていたら「蛇口」から「水」が流れない)。
あるいは何かまじめに書いたあとに「トカトントン」とか「なんちゃって」とか添付して、韜晦してみせるのも違う。
「定型的な自己否定」というのはすでにして背理である。
自己否定とは「定型化しないこと」だからである。
批評的精神は、そのつど自己を否定する仕方が変化するというかたちでしか真の批評性を保ちえないのである。
めんどうな仕事である。
けれども、そのような七面倒な仕事に律儀に取り組んできた人間は豊かで深い「ヴォイス」を持つようになる。
小田嶋隆はそのような稀有の天才の一人である。

町山智浩さんも天才である。
彼はある種の異常知覚の持ち主である。
表層的には安定し、順調に機能してみえるシステムや秩序の「破綻」や「亀裂」の兆候に対する感度の高さが町山さんの持ち味である。
さきほどの比喩をそのまま使えば、「腐臭」に対する嗅覚が鋭いのである。
その異常嗅覚は「ジャンク」や「ごみため」のような常人が「げ、臭い」といって顔をそむけるようなもののうちに珠玉のリソースを探り当てる能力と対になっている。
「腐臭」をかぎ当てる能力は私にも多少はあるが、「ジャンク」の中から「宝石」を探り当てる力はない。
私はそのような力がありうることを町山さんと高橋源一郎さんから学んだのである。
そのような大恩あるお二人と同席して、おしゃべりする機会が得られた。
私の興奮がいかばりかご想像頂けるであろう。
初対面なのだけれど、20年くらい前からの古い知り合いのような気が(こっちは勝手に)しているので、「ね、あれ、どうなりました?」という感じでどんどん話が進む。
まあ、話した話した。
なんと、われわれは開店準備中の店に入って、閉店時間まで5時間(!)しゃべり続けたのである(とはいえ、話していたのは50%が町山さん、30%が小田嶋さん)。
私はひたすら「へえ〜」とか「ふぁ〜」とか間の抜けた相槌を打つばかりであった。
お二人は(平川くんには熟知されていることだが)「大学の教師ってほんとにものを知らないなあ・・・」と驚かれたのではないだろうか。
このまま録音して本にすればよかったねと最初のうちは笑っていた毎日新聞関係者たちも、途中からは「これって、ぜんぶ活字にできない話じゃないか・・・」と青ざめていた。
よくもまあ「活字に出来ない話」だけ選択的に5時間話し続けたものである。
だからこの快楽は残念ながらいかなる読者とも共有することができないのである。
終わりに記念写真を撮って、雨の中手を振りながらお別れする。
ああ、楽しかった!
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