夏休みはまだか

2006-07-12 mercredi

大学院の前期打ち上げ。
もう半分終わってしまったのである。早いね。
前期最終回はS井くんの官僚論。
日米仏官僚組織の比較、中央省庁のプロモーションシステムと宝塚歌劇団のプロモーションシステムの相同性、東大法学部のフリーメーソンなど、「ここだけの話」で盛り上がる。
その後、わが家に移動して打ち上げ宴会。
参加者20名。
今期の聴講生は「おばさま」もとい「おねいさま」方が多いので、「一品持ち寄り宴会」のメニューの豪華さはゼミ宴会や合気道宴会の比ではない。
おおお、うまいうまいとワイン片手にばりばり食べ進む。
かんきちくんやイワモト秘書など男子組も台所にこもって、あれこれと調理して出してくれる。
S井くんが神戸大のフルバンでドラムを叩いていたことがあるという話で、W邊さんや(フルバンでピアノを弾いていたことがあるという)M山さんと60年代ジャズ話に興じる。
1965年の『スイング・ジャーナル』10月号の特集は「エリック・ドルフィー死す」だった。それが中学生の私が最初に覚えたジャズマンの名前だった。
65年の夏休みの間、私は受験勉強のあいまにディジー・ガレスピーやゲッツ&ジルベルトやリー・モーガンを聴いていた。
私が生まれてはじめて聴いたライブ演奏はMJQの東京公演だった。
ジョン・ルイスのピアノに必死で拍手を送っていた15歳の私はたぶんあの会場の最年少観客だったろう。
高校入試に受かったとき、祖母から貰った小遣いで私が買ったのはヤマハのハイハットだった。
それから二十歳までの私のバンドマン人生(というほどのものでもないが)を遠い目で回顧する。
聴講生のM谷くんは私が勝手に「京都のイ・ビョンホン」と名づけていたボ・ギャルソンであるが、実は茂山家につらなる狂言方であることがわかった。
さっそく「M谷Y一郎後援会」を結成し、私が会長に就任する。
60歳になったら「還暦記念能」をする予定なのであるが、そのときにはM谷くんに間狂言をお願いすることに決定(ギャラは「おともだち価格」でお願いね)。

明けて水曜はオフ。でも、用事が目白押し。
まず三宅接骨院に行ってぐりぐりしてもらう。
それからE阪歯科でインプラントの治療の続き。
午後に静岡からK島さんがやってくる。
消費税事業者となってしまったので、税務の心的負荷で気が狂いそうになってしまった私のために天が遣わしてくださった「マイ税理士」である(ふつうそうですけど)。
昨年度の確定申告書を見て、K島さんは深いため息をついておられた。

あのですね。節税するとなると、標準的には会社組織にするという手なんですけれど、ウチダ先生は、「そんなめんどくさいことするなら税金払った方がましだ」とお考えになりますよね。
はい、そうです。よくおわかりで。
そうだと思ってました。じゃ、まとにかく、「経費」という概念だけでもご理解ください。
は、はい。でも、それって「足し算」しないといけないものですか?
センセイはしなくていいです。
わーい。

すっかりいい機嫌になって、次は下川先生のところのお稽古。
ドクターの頼光ともども装束をつけて、『土蜘蛛』の仕舞をおさらい。
暑いよお。
家に戻ってメールを見ると、どうも今週末締め切りの原稿が三つあるらしい。
いつ書けばいいのか。
私の原稿執筆作業は税制上「営利事業」に分類されるそうだが、個人的な印象を言わせていただくと、「営利事業」というよりはむしろ「ガレー船の奴隷」である。
事業主が必死になって新規の受注を断っている「営利事業」とはいったい何なのであろうか?
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