第一回ヨンヨン学会

2006-07-03 lundi

BSJ(ペ・ヨンジュン・サポーターズ・イン・ジャパン)主宰の第一回日本ヨンヨン学会が京都キャンパスプラザで開催され、私はその栄えある第一回の特別講演を承ることとなった。
熱気あふれる会場は男性二名(私ともうひとりスタッフのご夫君)以外は全員女性である。
まず開会の挨拶「アンニョンハシムニカ!」を全員で唱和。
遠路東京からご参加のお二人に「ヨンヨン巡礼者」の称号、参加最年長者には「本日の最高尚宮(チェゴサングン)さま」の称号が授与される。
さっそく学会発表が始まる。
発表は三件。
「ヨンジュン・カジョク九類型分類」「冬ソナ一期生の愛と涙の日々」「冬ソナサイドストーリーの世界的展開」
私はすでに日本フランス語フランス文学会、日仏哲学会、日本映像学会のすべてをオサラバしてしまった身である。(いま会員名簿に名前が残っているのは日本ユダヤ学会のみ)
どの学会に行っても私を聴き手に想定している発表に出会うことがないからである。
私が何の興味も持てない主題について、さっぱり理解できないジャルゴンで語られているのを座って聴くのは純粋な消耗である。
行っても仕方がないので、次々と学会をやめてしまった。
だから、学会発表を聴いて、膝を打って納得し、腹を抱えて笑ったというのはほんとうにひさしぶりのことである。
私はこれほど批評性とユーモアの感覚に横溢したプレゼンテーションを久しく見た覚えがない。
ここには知的威信を得ようとか、他人の学説を貶めようとか、博識をひけらかそうとか、そういう「さもしい」モチベーションがまったくない。
全員が「ひとりひとりのペ・ヨンジュン経験からどのようにして最大の快楽を引き出しうるか」ということに知性的・情緒的リソースのありたけを投じているのである。
純粋である。
学術というものはこうでなければなるまい。
発表のあと、私が1時間ほどの講演を行う。
『冬ソナ』を「死者をいかにして死なせるか」という「死者とのコミュニケーション論」を軸に解析する試みである。
あまり知られていないことだが(私が昨日思いついたのだから)、『冬ソナ』は複式夢幻能と同一の劇的構成を持っている。
ワキ方がいわくありげな場所で「影の国から来た」人物(前シテ)と出会う。
そして、あるキーワードで物語が始まる。
「なぜ、あなたは他の人のように立ち去ることをせずに、ここにとどまっているのか?」
それは言い換えると「あなたはなぜ死者の国から戻ってきたのか?」ということである。
その問いに応えて、シテは「では、ほんとうのことをお話ししましょう」と予告して橋がかりから去ってゆく(ここで中入り)。
そしてワキの待謡に応じて、後ジテが「一声」とともに舞台に再登場する。
装束を改め面をつけて「別人」となった後ジテがそのトラウマ的経験のすべてをワキ方を聴き手に再構成してゆく。
そして、彼の「死」にまつわるすべてを語り終えたときに、「あと弔ひて給び賜え」と告げて亡霊は冥界へ去ってゆくのである。
『冬ソナ』において「前シテ」は「ミニョン」であり、「後ジテ」は「チュンサン」である。
ワキは「ユジン」である。
ユジンが初雪のソウルの街角でミニョンに出会うときから夢幻能は始まる。
中入りはミニョンの二度目の交通事故である。
そして、記憶を回復したチュンサンが病床からかすれ声で呼びかける「ユジナ」が後ジテの「一声」なのである。
このひとことを転轍点にして、物語は劇的展開を遂げることになる。
ワキを導き手に後ジテは「自分が何ものであるのか」を探って、「トラウマの物語(チュンサンはなぜ死んだのか?)を再構成する分析的な旅に出発する。
そして、後ジテは彼を殺したのが「母」であること、彼を棄てたのが「父」であること、そしてユジン以外のすべての知人友人がチュンサンの死(とミニョンとしての再生)を願っていたことを知る。
チュンサンが死なないことを望んでいたのはこの世界にユジンしかいなかったのである。
彼女だけが「正しい服喪者」であった。
それはユジンがチュンサンに関するすべてを記憶しているだけでなく、彼の死後も「チュンサンに訊きたいたいこと」があったからである。
「大晦日の夜に、あなたは私に何を言うつもりだったの?」
チュンチョンのクリスマスツリーの前で、缶コーヒーを手に戻ってきたユジンに背中を向けたまま、チュンサンが「言いたかった言葉を思い出したよ」と告げる場面で私は繰り返し号泣したのであるが、その理由がやっとわかった。
あの瞬間に、服喪者と死者のあいだの通信ラインが繋がったのである。
死者の声が服喪者に届き、「喪の儀礼」がそのピークを迎えた場面に立ち会って、私の心身の古層にわだかまっていた「人間が人間になる瞬間」の感動が蘇って、私は涙ぐんだのである。
正しい儀礼をすれば、私たちは死者からのメッセージを過たず聴くことができる。
繰り返し書いているように、そう信じたことで人類の始祖は他の霊長類と分岐した。
だからこの場面で私たちは「人間性の起点標識が立ち上がった」そのときの感動を追体験しているのである。
正しい儀礼とは死者と言葉を交わすことができると信じることである。
そのとき死者たちは彼らだけの世界に立ち去る。
死者とはもう言葉を交わすことができないと思うと、死者はこの世界にとどまって、さまざまな災禍をなす。
だから、正しい服喪者は死者に向かって「あなたは何をしたかったのですか?」と問いかける。
その問いには原理的に答えがない。
だから、問いかけは必ずやエンドレスのものになる。
それでよいのである。
私たちが死者に問いかけ続け、死者からの応答を待ち続けるとき、ようやく死者は立ち去るのである。
死者に問うことを止め、死者はもう何も語らない(なぜなら死者が何を語るのかを私は知っているから)と宣告すると、死者は立ち去ることができず「死者の国」から戻ってくる。
チュンサンが「影の国」から帰ってきたのは、ユジン以外の全員が喪の儀礼を誤ったせいである。
だから、チュンサン=ミニョンは「幽霊」として戻ってきたのである。
『冬ソナ』はこの「幽霊」がユジンの導きで「成仏」するまでの物語である。
「あなたは何をしたかったの?」とワキが問いかけ、「私はなぜここに戻ってきたのか?」と後ジテは問い返す。
この問答は、「私は死んでいるのだが、正しい服喪の儀礼を経験していないせいで、まだ死にきっていないのだ」という答えを死者自身が見出すまで続けられる。
死者自身が「私は『私はもう死んでいる』という言葉をあなたに伝えるために戻ってきたのだ」という言葉を発見したときに喪の儀礼は終わるのである。
死者自身が自分の死を認めない限り、物語は終わらない。
チュンサンが冬の海ですべての思い出を海に棄てるところで、「トラウマ的記憶の再構成」という分析的行程は完了する。
それ以降のエピソードは物語的には不要のものである。
もうどのような人為もチュンサンを生者の世界に引き戻すことはできないからである。
だから、物語の最後でふたりが出会う海辺の家の風景は、あれは「影の国=死者の国」でチュンサンが見ている「夢」なのである。
けれどもここに至る長い物語なしには、チュンサンはあの「夢」を見ることができなかった。
チュンサン=ミニョンはユジンの服喪儀礼によってようやくあの夢を見る権利を手に入れたのである。
という話をする。
会場のペ・ヨンジュン・カジョクのみなさんは「チュンサンは死者である」という大胆な仮説にがっくりと肩を落として、ずいぶん心を痛めておられた。
ごめんね。イジワルな分析で。
それからBSJのスタッフの方々と打ち上げ。
ペ・ヨンジュン・ファン活動というまったく新しい生活思想的な(と申し上げてよいであろう)運動が21世紀の日本にどうして生まれたのか、それは私たちの社会をどこへ導くことになるのかをめぐって熱く語り合う。
果たしてペ・ヨンジュンは私たちをどこへ連れて行くのであろうか?
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