健康って何?

2006-06-24 samedi

毎日新聞で興味深い記事を読んだ。
アメリカのペンシルバニア州のロゼトはイタリア移民が建設した街で、別に他の街とどこがどう違うわけでもないが、1950年代、心臓病による住民の死亡率が周囲の街の半分ほどだった。(「縦並び社会・8」、毎日新聞6月23日朝刊)
興味を持った医学者たちが疫学的な調査を行ったが、周辺の住民との間に差異は認められなかった。
食生活も喫煙率も同じなのに、なぜかロゼトの住民は心臓病になる確率が有意に低い。
調査チームは結局、その理由を「住民の連帯感が強い」ということ以外に見いだせなかった。
「お互いの尊敬と助け合いが健康をはぐくむ」
当たり前といえば当たり前のことである。
その連帯感が1960年代に入って失われてゆく。
「キャデラックを乗り回したり、ラスベガスに旅行する人も出始めた」と同時に死亡率が上がり、70年代にはロゼトの優位性は失われた。
「他人との比較や、富を求めて過重労働になるストレスと、社会の結束が崩れることが健康を損なう原因」であると、ハーバード大学の公衆衛生学の研究者は述べているそうである。
なるほど。
同じ紙面の下の方に関連する記事があった。
先日ロンドン大で行われた米英の55-64歳の8000人を対象とした調査で、癌や心臓病など7つの病気で、米国民の方が英国民よりも1.2-1.8倍患者が多いことがわかった。
「米国の高収入層は、がんなどの患者の割合が、英国の低収入層より高い。専門家は米国社会の競争の激しさが原因の一つだと受け止めている。」
なるほど。
新聞を畳んで大学に行ったら、一年生の基礎ゼミの発表テーマが「生活習慣病の原因と予防」というものであった。
栄養に配慮したバランスよい食生活を維持し、喫煙飲酒をせず、適度な運動をしましょう、という保健の教科書のようなプレゼンであった。
しかし学生諸君、人間というのはそれほど単純なものであろうか。
よく知られた事実に「健康法の唱道者は早死にする」というものがある。
食べ物や体操のようなフィジカルな営みに特化した健康法はしばしばメンタルストレスを増大させるからである。
そうなのである。
経験的に言って、健康法を律儀に実践している人間は必ずしも機嫌のよい人ではない。
というか非常にしばしば彼らは不機嫌な人である。
理由は簡単。
「世間の人々が自分と同じように健康によいとわかっている生き方を採用しないこと」がどうしてもうまく受け容れられないからである。
どうして、「あいつら」は平気で命を縮めるような生き方をしていられるのか。
その理由として、彼らは「世間のおおかたの人間は途方もなく愚鈍であるから」という説明しか思いつかない(それが彼らの教化的情熱にエネルギーを備給している)。
これはたしかに一面では真実を言い当てている。
だが、「世間のおおかたの人間は途方もなく愚鈍であり、私は例外的に賢明な少数のうちの一人である」というマインドセットは人間をあまり社交的にはしない。
周囲の人間の生活習慣の乱れに対する辛辣な批判と、おのれの実践している健康法に対する原理主義的確信は、彼らをしだいに社会的孤立へ追いやる。
ロゼトの事例が教えてくれるは、たとえジャンクフードを食い、煙草を吸い、酒を飲んでも、「周囲からの支援と尊敬」のうちにいれば、人間はあまり病気にならないということである。
逆から言えば、「周囲からの支援と尊敬」が欠如した状態に置かれると、どれほど生理学的・生化学的に健康な生き方をしていても、それはあまり人間の生命力を高める役には立たないということである。
健康法の効果はそれがどれほどの社会的合意を獲得しているかによって左右される。
だから偽薬(プラシーボ)というものに薬効がある。
二つの患者集団の両方に「これはあなたの病気の特効薬です」といって薬剤を投与する。
一方には新薬を、一方には小麦粉をシュガーコーティングしただけのプラシーボを与える。
ほとんどの場合、どちらの集団も有意な治療効果を示す。
新薬の認可がなかなかおりない理由の一つは、それと同じ効果を「特効薬」であるという社会的合意を(演技的に)付与された小麦粉でももたらすことができるからである。
『野生の思考』の冒頭でレヴィ=ストロースが列挙しているとおり、その治療効果についての社会的合意がある限り、どんな療法も(虫歯が痛むときはキツツキの嘴を触る・・・というようなものでも)顕著な効果をもたらす。
人間はそれほどまでに社会的な生物なのである。
ヘーゲルが言うとおり、人間は社会的承認を受けてはじめて人間になる。
だから、あなたが生きる上でもっともたいせつなのは「隣人があなたに向ける笑顔」なのである。
あなた自身を愛するように隣人を愛しなさいというのはそういうことである。
あなたが隣人を愛することによって隣人は生きながらえており、隣人があなたを愛してくれるおかげで、あなたはかろうじて生きることができる。
人間は自分が欲するものを他人から与えられることでしか手に入れることができない。
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