代々木ゼミナールにて

2006-06-07 mercredi

日帰りするはずが一泊したのは月曜の午前にお仕事が入ったからである。
朝日新聞の『大学ランキング』のK林さんから、代ゼミの入試情報センター本部長の坂口幸世さんと大学入試のこれからについて対談してほしいというオッファーがあった。
代ゼミの入試情報センターの持つコンフィデンシャルな情報源にダイレクトでアクセスできる希有の機会である。
二つ返事で引き受ける。
本学が『大学ランキング』に本学が上位ランクインしているのは「ファッション誌に登場する回数」と「女子アナ輩出数」いうようなものばかりで、教育内容とはあまり関係がない。
もう少し本学が上位になるようなランキングを考えてくださいとK林さんに頼んである。
とりあえず、「風水のよい大学ランキング」ではベスト5に入るはずである。
「学内の植生の多様性」もかなりハイスコアがマークできそうである。
これもあまり教育内容とは関係がないように思われるかもしれないが、私は、教育のもっとも重要な部分は数値的には表現できないと考えている。
「校舎が学生をつくる」というのは本学を設計したヴォーリズの持論であったが、このコンセプトには池上六朗先生もただちにご同意くださるであろう。
人間というのは身体の横に垂直なものがひとつぶらさがっているだけで体軸を無意識のうちに鉛直方向に補正してしまうくらいに環境に影響されるものである。
ジェームス・ギブソンに「アフォーダンス」という概念がある。
周囲の環境が、行為の可能性についてあらかじめ「下絵を描いている」のであって、動物は主観的には自由に動いているつもりでいても、環境の示す動線に沿って行動するように誘われている、という考え方のことである。
アフォーダンス(「アフォード」afford 「(機会を)与える」からの造語)についてギブソンはこんなふうに書いている。

「固い水平の表面を動物を支持することをアフォードする。広い支持面は、陸棲動物に移動をアフォードする。地面に垂直な固い表面は移動の停止と力学的接触をアフォードする。地面に垂直な表面はその後ろに隠れることをアフォードする。ある程度の空気の量を含む表面のレイアウトは、風、寒さ、雨、雪からの隠れ家をアフォードする。囲みにある隙間や割れ目はそこに出入りすることをアフォードする。支持面より上にあり膝よりも高い水平の表面は座ることをアフォードする。(…) 支持面が大きく欠けたところ(「崖」)は落下によるケガをアフォードする・・・」(佐々木正人、『ダーウィン的方法』、岩波書店、2005年、18頁)

なるほど。
ところで、私たちを取り巻く環境には、アフォーダンスの「強い」ものとそれほどでもないものがある。
アフォーダンスが強い環境とは、そこに置かれた動物が採る行動パターンが斉一的であり、自由選択の余地がほとんどないもののことである。
監獄とか病院とか学校というのは、アフォーダンスの強い環境である。
目的自体がそうなんだから、当たり前である。
例えば土牢(私はマルセイユ沖のシャトー・ディフで実物を見たことがある)は「濡れた水平の支持面と身長にやや足りない高さの空間」から出来ており、ここに閉じこめられた人間は「濡れた地面に横たわる」というたいへん不愉快な姿勢以外の選択肢を構造的に奪われている。
これがどれほど生物の本義に反するありようであるかは、そこに身を置いてみればわかる。
しかし、それとは逆にアフォーダンスする環境的与件があまりに乏しい場合、私たちは空間的に自己定位できず、たいへん不安になる。
行動を方向付ける手がかりのまるでない環境に置かれるということも、これまた生物の本義には反するのである。
大学と高校の際だった違いはおそらくこのアフォーダンスを大学は意図的に弱めてあるという点にある。
高校までは「自分の教室」にいて、同じクラスメートと並んで授業を受ける。
大学では教科毎に教室を移動し、教室の規模や構造も、毎時間となりにすわる人間の顔ぶれも変わる。
どの教室でどの教科をどのような学生とともに受講するかの選択権は学生にある。
「自分にとっていちばん気持ちのよい環境」、「自分が生き抜く上で最適の環境」はどういうものかを自分の感覚で感知し、判断しなければならない。
これは人間にとってたいへん重要な生存能力である。
だから大学は「教育の仕上げ」として、「(確実だが微弱な)環境的アフォーダンスを感知して、環境が提供する最適のリソースを享受し続ける能力」の涵養を主眼におく。
それゆえ、すぐれた大学は構造的に「謎」がしつらえてある。
例えば、本学のヴォーリズの作った建物の場合、ある教室から別の教室に行くために必ず複数の経路が用意してある。
直線最短の誰が見てもわかる最適路というのはない。
「パイプオルガンが聴ける線」、「冷たい大理石の床の上を歩く線」、「桜の下を通る線」、「泉水の横を通る線」など複数のオプションからたぶん「そのときの気分でいちばん歩きたい線」を通行者に選択させるようにつくってある。
だから、四季の変化や温度湿度や本人の体調などで、最適動線は変わる(少なくとも私は変わる)。
自分にとって「最も快適な環境」を感知させるように、建物そのものが「問い」のかたちに構造化されているのである。
ヴォーリズの建築を「美術品」として評価するなら鑑定的にランキングすることはできるだろう。
けれども、それがアフォードしている「謎」は決して数値化することができない。
本学の教育資源の最良のものは「確実だが微弱であり、それを感知できる身体感受性の向上を促す環境的アフォーダンス」なのだと私は思っている。
近代的なオフィスビルのような校舎は強アフォーダンス環境では、学生には行動の自由が与えられていない。
それがどれほど非人間的な環境であるかを「不快に感じる」感受性もだからそこでは育ちようがないのである。
閑話休題。
代ゼミの坂口さんから大学の今後について専門的意見を伺う。
報告したいことはたくさんあるのだけれど、とりあえず重要な論点ひとつだけご報告しておこう。
それはこれから先、大学の階層化が進行するということである。
「大学淘汰」というが、淘汰という場合は「生き残る大学」と「滅びる大学」の二分法であるが、それに先行して、それに並行して、「大学らしい大学」と「大学らしくない大学」の二分化が進む。
「大学らしくない大学」にも生き残る可能性があるように、「大学らしい大学」であっても淘汰される可能性がある。
「大学らしくない大学」とは専門学校化した大学である。
大学の専門学校化と専門学校の大学化は同時に進行している。
ご存じのとおり、過去10年間で18歳人口は30%以上減少しているのに、大学の数は132校も増えている。
新設大学は医療・看護・福祉系が圧倒的に多い。
これらは主に「スキル」と「資格」を提供するための機関である。
専門学校化した大学では「老舗の暖簾」やブランド・イメージや人間的ネットワークはほとんど意味を持たない。
学生たちが欲しいのは卒業時における「スキル」であり「情報」であり「資格」であるのだから、入学偏差値が低く、サービスがよく、立地のよい大学(つまり「勉強と教育投資」というコストに対する費用対効果がすぐれた大学)が選択されるのは当然のことである。
一方、生き残りをはかる大学が新設学部学科を作る場合も多くは専門学校志向である。
医歯薬、福祉、心理、看護に志願者が集まる時代が続いたが、新設ラッシュでもう「うまみ」はなくなった。
「医学部神話」が消えるのも間近だろう。すでに「医学部卒業ニート」が出始めているし(あまりにコストパフォーマンスが悪いので「馬鹿馬鹿しくてやってられない」のである)。私学の歯薬では、巨額の教育投資の回収が困難であることに人々は気がつき始めた。
ここ二三年は「食」と「スポーツ」系に人が集まり始めているそうである。
関西でも関関同立がスポーツに予算をつぎ込んでいる。
スポーツ推薦で入る学生は活躍してくれれば大学の宣伝になるので、全国の私学が一斉に「スポーツ推薦」での学生確保に走り出した。
では「大学らしい大学」とはどのようなものか。
とりあえず坂口さんと私が合意したのは、「『文学部』という名称を残すことのできた大学」である。
文学は「実学ではない」と言われる。
実学と非実学の差はどこにあるか。
私はたぶんさきほどの例のとおり、学術にもアフォーダンスがあり、文学は「弱アフォーダンス系」の学問領域なのだろうと思っている。
それが育てるのは「自分が生き延びる上でほんとうに必要な知識と技術」を自分の感覚で探り当てる力である。
そして、もたらすアウトカムの良否を検証するためには、長い時間がかかるのである。

火曜日は聴講生諸君の熱い要望に応えて第二回「クローバー麻雀の会」が開催された。
参加者13名。3卓である。
J1卓には前回惨敗のI倉くん、初参加腕を撫してのY山さん、そして驚くべきビギナーズラックのオーラを背にした「せいうち」と今期絶不調のウチダの二度目の「師弟対決」。
J2,J3卓では前回に引き続き「マスダ先生の麻雀教室」が開かれる。
最初の半荘はウチダ、ノー和了のボロ負け。ダントツはせいうち。
二度目の半荘はY山くんに代えてマスダ先生を迎えてウチダようやく薄目があいてトップでラス前。
ここでタンピン三色ドラ一の三面聴の好手を作って会心の立直。
これにただちにせいうちが追っかけ立直。
一発でせいうちの当たり牌「三筒」を持ってきて、これが三筒単騎の立直一発七対子。
だいぶへこんだけれど、オーラスで2600あがればトップ確定なので、やや功を焦って裏ドラ期待の早めの立直。これがあがったもののリーのみ1300で3万点に届かず西入り。
ラス前で立直のI倉くんにこちらも聴牌で一瞬切り遅れのドラを一発で振り込んだら、これが立直一発純チャン三色ドラ3発の3倍満。
哀号。
本日の戦績は

せいうち +57(あなたは強い)
I倉    +37
Y山   +3
M田  -33
ウチダ -64(よえー)

どうして初心者のせいうちがこんなに強いのか。
「それにしても振らないよな」とI倉くんと私がため息をつくと、セイウチ曰く「『振る』ってどういう意味ですか?」
われわれは「ふりこみ」という概念を知らない人間を相手に麻雀を打っていたのである。
「負けを知らない」人間には勝てない。
だが、せいうちよ。やがてキミにも終わりなき敗北の白夜が訪れる日が来るのだ。
そう遠くないうちにね。
そのときにどうやって死にものぐるいに生き延びるか。
それが最初の試練なのだよ。
それまでは先生の贈る点棒で遊んでいたまえ。
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