土曜日は第44回全日本合気道演武大会。
雨の中を日本武道館へ。
私は1977年の第15回(この年に日比谷公会堂から日本武道館に会場が移った)から29年連続出場である。
一度始めたことはなかなか「やめられないとまらない」私のエビセン体質はこの一事からも知られるであろう。
今年の演武者はついに7500人に達したが、その中で29年連続出場の演武者がいくたりおられるであろうか。
人間であれば風邪を引くこともあるし、子どもが病気になることもある。
「あたしと合気道とどっちが大事なの!」とそれだけは言ってくれるな妻の激怒をなだめる必要もあるだろうし、「あ、ウチダくん、悪いけどウルグアイに出張してもらえるかな、土曜日」「う、ウルグアイですか!」涙の業務命令とか。
29年連続して五月最終土曜日正午に日本武道館に登場することはなかなか常人には為しがたいのである。
よく続いたものである。
ぜひ来年は石にかじりついてでも武道館にたどりつき、連続30年の記録を達成したい。
77年に私はまだ白帯であり、頭は天パーのロン毛であった。
小堀さんも白帯で、頭はアフロであった。
ふたりは自分たちの演武が終わると「けっ、こんなたりーもんみてられっかよ」とうんこ座りをして武道館の階段で眉間に皺を寄せて煙草を吸っていた。
前世のように遠い過去のことである。
いまではふたりとも白髪の好々爺になってしまった。
光陰矢のごとし。
7500人も人がいるが、10メートル歩く毎に誰か知り合いに会う。そのたびに「おお、どうしてる」と立ち話をするので、さっぱり前に進めない。
多田塾甲南合気会としては二度目の演武会。総勢25名でごちゃごちゃと演武をする。
別にひとに見せるものではないから(そうか?)よいのである。
全日本合気道演武大会は合気道におけるワールドカップのようなものであるから、参加することに意義があるのである(ほんとにそうなのか?)。
多田先生の演武を見て、深い感動を覚えつつ、恒例の武道館前記念撮影も済ませ、雨中を九段会館へ。
今日は雨なのでビヤガーデンではなく、宴会場で多田先生主催のビールパーティ。
小堀さん、笹本さんとひとしきり「前世的大昔」の話に興じる。
先生をお見送りしてから、気錬会の諸君と二次会へ。
気錬会の工藤俊亮くんとつれだって神田すずらん通りに二次会の飲み屋を探しながら歩くのも、そろそろ5年ほどになる。
最初の年は早稲田の合気道会もいっしょで、30人くらいで焼き肉屋に入って、その店にあるお酒を全部飲んでしまった。
すさまじい二日酔いで、翌朝の五月祭の演武会に出て、頭を下げるとゲロを吐きそうになるので、背筋をまっすぐに伸ばしたまま演武したら、亀井先輩に「今日はいつもと様子が違うじゃないの、ウチダ君」と言われて冷や汗をかいた。
前世のように遠い過去でもなく、つい5年前のことである。
“気錬会の至宝” 工藤君(新婚であるにもかかわらず、こういう宴席をはずさないところが工藤君のすぐれたところである。いないと私に何を言われるかわからないので、それを警戒しているのかも知れないが、だとすればまことにすぐれた気の感応と言わねばならぬ)、前主将の “つんつん” 伊藤君(めがねを替えたね)、現主将の芦葉君、副将の浜崎君、次期主将の箕浦君、「気錬会哲学派」の小野寺君、店子のQちゃん、飯田先生、ウッキー、うちの四年生軍団らでどどどと居酒屋へ。
ウッキーが酔って邪道全開状態となったところで工藤君に「邪道って何ですか?」というご下問があったので、「作為なき邪悪さ」の表出を顕彰するものであるとご説明する。
工藤君から「邪悪さには自信がありませんが、作為なら自信があります!」という断固たるお答えを得たので、早速その場で「偽道」を創設し、工藤君に「偽道免許皆伝」ならびに「偽王」の称号を贈る。
私ももう大人なので(五年前もけっこうな大人だったはずだが)、翌日があるのであまりたくさん飲まずに10時には「まった、あっしたねー」と散会。
日曜日は東大五月祭の演武会。
うちの招待演武は、かなぴょんとエグッチとウッキーと永山主将の演武のあと、のぶちゃんとPちゃんという気錬会OB二人をお相手に私が演武させて頂く。
ほんとはドクター佐藤が受けをしてくれるはずだったのだが、涙の鎖骨骨折のためにのぶちゃんに急遽代役をお願いしたのである。
佐藤君、来年がんばろうね。
多田先生の説明演武を堪能したあと、赤門前で「先生、また来週!」とご挨拶してお別れする。
即日帰郷組5人で新幹線に乗り、「あなご飯」とビールで打ち上げ。
まことに充実した二日間でありました。
合気道って、ほんとに愉しいなあ。
みなさん、どうもありがとう! お疲れさまでした。
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(2006-05-29 20:52)