エビちゃん的クライシス

2006-05-20 samedi

私はあまりものごとに動じない人間であるが、今日はかなり驚いた。
基礎ゼミでの出来事である。
今日のお題は「エビちゃん」。
「エビちゃん」と言えば合気道部的には三代主将であった「浜松のエビちゃん」のことだが、その話ではない。
「それは誰ですか?」
という私の問いかけに一年生のゼミ生諸君はたいへん不思議な顔をしていた。
Cancamの専属モデルの「エビちゃん」という26歳の女性のことである。
私はもちろんCancamを購読しておらないし、TVもほとんど見ないので、そういう方が数ヶ月ほど前から全日本的規模で10代20代女性のロールモデルになっているという事情を存じ上げなかったのである。
ふーむ。そうですか。
もちろん、その程度のことで私は驚きはしない。
驚いたのはその先である。
で、その彼女がポピュラリティを獲得した理由について、本日発表をしたKカドくんが社会学的分析をしてくれたのである。
不況時には「稼ぎのある、強い女性」が人気を得るが、好況時には「アクセサリー的に美しい、庇護欲をそそるような女性」が人気を得るという法則があり(知らなかったよ)、その景況による嗜好の変遷にともなって、デコラティヴな美女であるところの「エビちゃん」が現時点での女性理想像なのだという説明をしていただいた。
発表者のKカドくんも「大学デビュー」に際しては「エビちゃん」系でファッションを整える方向で精進されているそうである。
ふーむ、たしかに、そういうこともあるかもしれない。
しかし、それってさ、フェミニズム的にはちょっと問題発言だよなと申し上げたところ、ゼミ内にやや不穏な空気が漂った。
あまり納得されていないのであろうかと思い、さらに言葉を続けた。
だってさ、そういう男性サイドの欲望を基準にして女性の理想型が変化するのはありとしてもさ、キミたちがそれを無批判にロールモデルにするのって、フェミニズム的にはまずいんじゃないの。
どなたからも声がない。
「あの・・・」
中のひとりが勇を鼓して手を挙げた。
はい、なんでしょう。
「『フェミニズム』ってなんですか?」
え?
キミ、フェミニズムって言葉知らないの?
見渡すと、13名いたゼミ生の大半がゆっくり首を横に振った。
ちょっと待ってね。
「フェミニズム」って言葉、聞いたことがない人っているの?
8人が手を挙げた。
聞いたことはあるが意味を知らないと言う人は?
2人が手を挙げた。
さすがの私もこれには驚いた。
「上野千鶴子」って、知ってる?
全員がきっぱり首を横に振った。
ちょっと、待ってね。
「フェミニズムはその歴史的使命を終えた」と私が数年前に書いたのは、事実認知的な意味ではなくて、遂行的なメッセージとしてである。
「歴史的使命はそろそろ終わって頂いても、ウチダ的にはぜんぜんオッケーなんですけど」ということを言いたくて、いささか先走り的なことを申し上げたのである。
戦略的にそう言ってみただけで、まさか、「ほんとうに終わっている」と思っていたわけではない。
言い添えておくけれども、うちの一年のゼミ生たちはなかなかスマートな諸君である。
これまでのゼミでのディスカッションを拝聴する限り、コミュニケーション能力は高いし、批評的知性も十分に備わっていると見た。
その方がたが「フェミニズムって、何ですか?」である。
つまり、2000年くらいからあと、中学生高校生時代の彼女たちのアンテナにフェミニストはまるで「ヒット」しなかったということである。
これは困った。
私は公然たるアンチ・フェミニストであるけれど、このような事態を待望していたわけではない。
繰り返し書いているとおり、フェミニズムはその歴史的使命を終えたが、それがもたらした最良の知的資産は損なわれることなく次の世代に継承されなければならないと私は思っている。
だが、フェミニスト的知見の次世代への継承はどうもうまく行われていないようである。
それは「この世の中がろくでもないのは、みんな『あいつら』のせいだ」という他責的な語法をフェミニストが濫用したせいで、結果的にそのような語法そのものが批評的なインパクトを失ったせいではないかと思う。
だって、今の日本のメディアもエスタブリッシュメントもみんな「そういう語法」でしか語らないからである。
十代の少女たちはそういう言い方にたぶん食傷しているのだ。
そんなこといくら言っても、何も変わりはしないということを彼女たちは実感的には熟知しているのである。
私はフェミニズムの「知的資産の継承」を望んでいる。
そのためには、「フェミニズムって何ですか?」という少女たちの出現を構造的危機として重く受け止めるフェミニストの出現が急務であると思う。
それを「父権制のイデオロギー装置が奏功して、子どもたちはみんな洗脳されてしまったのだ」というような他責的な構文で説明して安心するのはよしたほうがいいと思う。
ゼミ生中の読書家であるM野くんが、訝しげに「『フェミニスト』って・・・『海辺のカフカ』で・・・あの図書館に来る人のことですよね?」と確認を求めてきた。
そ、そうなんだけどさ。
あの多分に戯画化されたフェミニストのありよう「だけ」がわずかにインパクトを持っているというのは、ちょっとまずいのでは。
フェミニストのみなさんは過去5年間、少女たちにどんなメッセージを届けようとしていたのであろうか。
とりあえず「あまり届いてないみたい」ということだけは確かなようである。
--------