今年も新緑の美山町で山菜天ぷらを食べる

2006-05-05 vendredi

GW恒例の「美山町のコバヤシ家で山菜てんぷらを食べる会」に長駆京都府南丹市(というのが町村統合でできたそうです)美山町へ。
コバヤシ家で山菜天ぷらを食べるのもそろそろ10年くらいになる。
一度始めたことはなかなか止めない体質なので、毎年同じ新緑の時期になると舞鶴道、27号線を走り抜けて美山町へ行く。
はじめて美山町に行ったのはるんちゃんが1歳になった83年の夏。
赤いホンダシティで小浜から山を越えて美山町に入った。
それから数年のインターバルがあって、私たち父子が関西在住になって最初の五月に天ぷらを食べにおいでとお誘いを受けて、ミニででかけた。
そのときは舞鶴道が福知山までしかなくて、そこからは一般道を走って綾部まで行った。綾部の駅前で一時停車して、「おお、ここが大本の・・・ということは植芝塾がかつてあった地か」としみじみと感懐に耽ったのであった。
その後、27号線を走る車はインプレッサ(これはいまコバヤシ家の愛車となっている)、BMWと変わったが、綾部から後の由良川沿いの道路の風景は15年経ってもほとんど変わらない。
典型的な「美しい日本の里山」の風景である。
「哲学する樵」コバヤシナナオトさんと奥様のオハギ(このネーミングの由来は長い話になるので割愛)と次女のユキちゃんのお迎えを受ける。
コバヤシ家は去年までミヤタケの家主さんで、ミヤタケ夫婦がユキちゃんスギちゃん姉妹の隣人だった。
というわけで、会うなり「ミヤタケ話」になる。
ユキちゃんからミヤタケのところには奴隷のようにこきつかわれている「ドラえもん体型」の男子が出入りしていたという話を伺う。
ミヤタケの奴隷で「ドラえもん」体型の男と言えば・・・それはジョンナム・ナガミツのことではないだろうか。
だとすれば、ナガミツくんはユキちゃんスギちゃん姉妹の「ぱしり」として「ヘルプ」にパンを買いに行かされていたことになる(内輪の話題ですまない)。
とりあえずナガミツくん、どうもありがとう。
そうでなくて、別にナガミツ似の奴隷がもうひとりいるということになると、ミヤタケは「ドラえもん体型の奴隷」を頤使するある種の超能力を有していることになり、この方が話はさらに面白い。
そのナガミツくんにもらった山田錦の吟醸酒を手みやげに持って行って、ナオトさんとふたりでぐびぐび呑んでいたので、気がつけばナガミツくんは一周回りで再びコバヤシ家にご奉仕していたことになる。
まことに運命は糾える縄のごとし。
なぜミヤタケはあのような人物になってしまったのかについて、山菜天ぷらをばりばりと食べつつ話し続ける。
これだけ長時間にわたって話題を独占できるというのは人間の魅力の指標であるから、ミヤタケくんはこれを読んでも怒らないように。最後はちゃんと「でも、ミヤタケって(ああ見えても)いいやつだよね」に落ち着いたのだから。
(ああ見えても)の部分が余計だ!と思うかも知れないが、ただの「いいやつ」のことはここでは話題になるはずもないのである。
五右衛門風呂に浸かって、ほろ酔い機嫌で爆睡。
気がついたら朝の10時。11時間も眠ってしまった。
美山町ではたんぼの蛙の合唱(地響きがするほど)を聴きながら眠るせいか、いつも眠りが恐ろしく深い。
明け方に鳥が事務所に飛び込んできてガラス窓を割ってしまう音でちょっと目が覚めたが、そのままスルーして寝続ける。
ワイルド・ライフである。
そのままずるずると台所で『冬ソナ』はいかに偉大な物語であるか(これにはナオト氏はまったく同意せず、もっぱらオハギと「そうよねー」とおばさん的うなずきを交わすばかり)、日本の林業はこれからどうなるのか、ユキちゃんの結婚相手はどんな人がいいのか、村上春樹はイスラム圏でも読まれるだろうか、次世代日韓混血児たちは日韓関係をどう変化させるか、フランスの極右は王政復古をまだ考えているのか、ブータンのパスポートコントロールはどうなっておるのか、などコバヤシ家の台所ならではの異常に話題が散乱するおしゃべりを日が傾くまでお茶を呑みながら続ける。
おみやげにタケノコをもらって、西の山影に日がかかる頃においとまする。
来るときと同じように美しい山道を疾駆して芦屋に戻る。
あと10年後に私はまだGWにここに山菜天ぷらを食べに来ているであろうか。
小林家のみなさん、ごちそうさまでした。また来年。
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