学長就任式に願うこと

2006-04-29 samedi

学長就任式。
川合真一郎人間科学部教授がこれから2009年まで本学の舵取り役となる。
この3年間の政策選択の可否は文字通り大学の生き死ににかかわる。
たいへんな重責である。
就任の挨拶で川合学長は1995年の震災のあとに、全学が一丸となって復旧作業に努めたときの、あの凝集力をもう一度思い出して欲しいと述べた。
この言葉は私には深く響いた。
前に書いたように、95年の震災のときのことを私は実を言うとよく覚えていない。
震災の翌日に大学に来て、その惨状を見たときに「ぷつん」と頭の中の回線が切れて、それからあとの数週間のことはほとんど記憶に残っていないからである。
直視することが耐え難い経験については、「そのことは考えない」というソリューションに人間は逃れることがある。
震災のときは、あまりに手の着けようのないありさまだったので、被害の全体像を見るのを止めて、足元「だけ」を見ることにした。
とりあえず足元のガラス片を拾い、コンクリート塊を取り片づけ、開かない扉を押し開け、倒れているロッカーを立て・・・という種類の単純な力仕事(とほうもない作業量だったが)を頭をからっぽにして朝から晩まで続けた。
でも、学長が言われたように、そんなふうにして一週間後には大学としての最低限の機能は回復したのであった。
千里の道も一歩から。ちりも積もれば山となる。
ひとりひとりの等身大の力でできることはわずかでも、それが総和となったときには想像を超えるほどに大きな成果をもたらすことができる。
そのことを身を以て学んだ。
震災のときがそうであったように、この危機の時代においても、別にひとりひとりが「全体」を心配する必要はない。
自分に与えられ期待されている日常の仕事をきちんとこなしていれば、「全体」の秩序はおのずから生成する。
大学教育が危機だからといって、全員が浮き足立っても仕方がないし、起死回生の奇策に頼るのはむしろ危うい選択だろう。
震災のときを思い出して、足元の仕事を片づけるところから始める。
脚下照顧。
足元を見よ。
まず自分の脱いだ靴を揃えるところから始める。
それができない人間は結局どれほどさわがしく走り回っても、何も残すことができない。
私の仕事は学長の舵取りを支えてゆくことである。
私は「イエスマン」ではないが(同僚の誰もそんなことは思っていないだろうが)、私を説得するために学長がその限られた資源を用いるような事態はできるかぎり少なくしたいと思っている。
上司から見ていちばんありがたい部下というのは「その人がいるせいで自分の仕事が減る人間」であり、その次にありがたい部下というのは「その人のことを忘れていられる人間」である(逆に言えば、上司が自分を説得したり、懐柔したり、翻意を促したりすることに時間とエネルギーを割くのを自己の有能さや重要性が評価されているあかしだと思っているのが「最低の部下」である)。
せめて川合学長にとって「その次にありがたい部下」になりたいと私は願っている。
新学長の上に天来の祝福と支えがありますように。
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