140B創立パーティとゼミ同窓会

2006-04-23 dimanche

江弘毅さんと中島淳と書いて「なかじま・あつし」と読む中島さんの新会社140Bの設立記念パーティがダイビルであった。
140Bは出版編集の会社で、中島さん、江さんそれと石原卓さんの三人が取締役、金井文宏さんが監査役という四人だけの会社である。
私と平川くんは株主なので「参与」の称号を頂く(ついでに名刺も頂く)。
ビッグアップルの堀埜さんやゴスペルの大倉カイリさんも発起人に名を連ねている。
教授会がのびたので、開始時間をだいぶ遅れて会場のダイビルのカボデルポニエンテに着いた。
とんでもない数の人々がわいわいと集まっている。200人くらいいたのではないかしら。
入り口でバッキー・イノウエさんと堀埜さんに会う。奥の方にエルマガジン社の新入社員となった「店子のヒロコ」がいる。大迫くんに案内されてオフィスの方にゆくと「鉄火場姐御」がいる。取締役のみなさんにご挨拶しているとフジタくんが来て「甲南麻雀連盟に入れて下さい。ボク、かんきちなんかよりずっと強いです」とアピールする。
かんきちくんより強くてもあまり自慢にはならないが連盟の扉は、叩くものすべてに開かれている。
お腹が減ったのでカフェテリアで食べ物をゲットして廊下を歩いていたら、たいへん懐かしい顔に合う。
兄上である。
どういう風の吹き回しか、ばりっとスーツを着込んでいる。
「あ、兄上、ど、どうしてここへ?」
別に不思議はない。
兄上は江さんのビジネスパートナーであるので、表敬訪問のために横浜から日帰りで来られたのである。
兄上がスーツを着るのは年に二回くらいであるから、兄上の江さんの新会社に対する期待の大きさも知られようというものである。
ご挨拶もそこそこに廊下で「では、次は箱根の温泉麻雀でお会いしましょう」と手を振り合って別れた兄弟であるが、よく考えてみれば来月早々に山形宗傳寺まで父の法事でいっしょに行くのであった。
兄と別れてふりかえったら平川くんがいる。
彼もまた長駆東京から来られたのである。
なにしろ「参与」なんだから。
平川くんの隣に釈老師(@浄土真宗)、その隣に「魔性の女」フジモトくん、その隣にバジリコのアンドウさん、その隣にドクター佐藤という濃いーメンバーがワインを飲んでいる。
やれやれやっと座れるよと腰を下ろしてどもどもとワインを頂くと、そこにヒラオさんとイーダ先生とヤマモト画伯と的場コータン老師(@華厳宗)がやってくるので、たちまち内輪の宴会状態となる。
ビジネスマン、僧侶、エディター、医者、画家、ラガーマン、学者がテーブルを囲んでわいわい騒いでいるわけであるが、いったいこの異業種の方々は何のゆかりがあってこのような場所に参集し、親しげに「内輪話」をしているのか疑問に思われる方もおられるであろう。
ご賢察のとおり、ここに顕現したのは「麻雀が結ぶ友達の輪」なのである。
秘密結社(じゃないけど)甲南麻雀連盟の組織力には恐るべきものがある。
甲南合気会もたしかに異業種の方々が集まって特異な共同体を形成してはいるが、私が師範として独裁的に支配しているために、集会結社の自由、言論出版の自由などは会内部で厳しい禁圧にさらされている。
集会は私が「集合!」と言った場合にのみ行われ、もちろん師範の検閲を得ない政治的発言などに存在の余地は残されていない。
師範の知らない間に門人同士が集まって宴会などした場合、事後にそれを知った師範の致死的反撃(ひがみっぽく「あーら、楽しそうでよかったわねえ」と斜め45度の白眼を向けられること)は免れ難いのである。
このような一元支配によって組織の鉄の規律はさしあたり保たれているわけであるが、その反面、言論統制による会員たちの精神の萎縮は否みがたい。
この「カリスマ的指導者による一元支配」という過渡期革命党組織問題のアポリアを重くみて、私は前衛党組織、同伴知識人、一般大衆をゆるやかにネットワークした「人民戦線」方式の組織論的展開の急務であることを痛感したのである。
そのようにして誕生したのが甲南麻雀連盟である。
従来の革命党組織には党員登録されていなかった宗教関係者、ブルジョワ的芸術家、反革命的プチブル弱雀小僧などにも連盟はひろく門戸を開くことになった。
党内民主主義にもとづく連盟において、会員たちには連盟同志から点棒を奪取すること、同志の失着を嘲弄することがひとしく人民の権利として担保されている。
もちろん過渡期社会の宿命として、一部特権階層(具体的には私のことだが)が点棒を事実上独占することは避けがたいのであるが、規定上は全員に勝つ権利が確保されており、規定を空文化させるのか、法に魂を吹き込むのかは(平川同志がその憲法論で道破したとおり)ひとえに同志諸君の階級的打牌のひとつひとつにかかっているのである。

ま、それはさておき。
パーティもそこそこに連盟会員たちは「二次会」へと移動することになった。
平川同志の「来阪歓迎麻雀」である。
メンツは平川くんの他に、ドクター佐藤、ヒラオさん、画伯、そして私である(イーダ先生は観戦)。
結果についてはあまり申し上げたくないが、画伯が二回ともトップでプラ90。
私は半荘一回だけ参加し、南二局、七索単騎の立直一発自摸七対子ドラ四の倍満を上がってダントツとなったのだが、オーラスで画伯が親のハネ満を自摸上がり(七対子ドラ四・・・って似たような手だな)逆転されてしまったのである。
グヤジー。

平川くんが泊まって、翌日は例によって朝ご飯を食べながら清談。
ふたりとも素面のときの方が頭の回転がよいみたいである(ふつうそうか)。
共著『東京ファイティングキッズ2・悪い兄たちが帰ってきた』はバジリコから出版予定。装丁はヤマモト画伯。
解説は誰に書いてもらおうかふたりで相談して、鷲田清一先生にお願いしようという結論に二秒で決する(鷲田先生、勝手に決めてすみません)。
そういえば文春文庫からもうすぐ出る『子どもは判ってくれない』(増補版だよ)の解説は橋本治先生にお書き頂いた。
この解説が「本文よりも難解」というレアものなのである。
さすが橋本先生。

平川くんを送り出した後、すぐに合気道のお稽古へ。
またまた新入門の方が来ている。
会員が毎週一人ずつ増えている。
たいへんうれしいことではあるが、このペースで増え続けると、半年ほどでこの道場はラッシュアワーの新快速なみの混み具合となってしまうであろう。

稽古のあとソッコーで家に帰る。
今日はゼミの卒業生たちが来襲するのである。
もともと「店子のヒロコ」と「おばけちゃん」と「えりりん」の三人が転職相談・恋愛相談・就職報告(順不同)に来るはずだったのだが、その一コ下のゼミ生たちが同じ日に同期会をやるという。
こちらは身体が一つしかないから、じゃあまとめてうちでやろうということになる。
家の中をぱたぱた掃除して、ワインとビールを冷やして、ご飯の支度をして待っていると卒業生たちどやどやと乱入してくる。
2004年卒組で集まったのは、ムラサキ、ノヒラ、ヤブッチ、クボさん、アイキ、魔王、途中からヨリフジ。
とりあえずシャンペンで乾杯して自己紹介もそこそこに話題は一気に佳境に入る。
本日の話題は「極悪サトウ」のさまざまな驚嘆すべきエピソードである。
「極悪サトウ」はmixi上では「とにゃん」などとかわいい名前を名乗っているが、私が邪道免許皆伝、「邪魔女」(じゃ・まじょ)の称号を与えたことからわかるように、内田ゼミがこれまで世に送り出した歴代の非人情ゼミ生のうちで第一に指を屈すべき稀代のスーパー・バイオレンスなハッピーゴーラッキー女である。
残念ながら本日はご本人がご登場されないので、「店子のヒロコ」と「えりりん」が彼女をめぐるさまざまなエピソードを紹介してくれる。
「店子のヒロコ」がはじめてサトウを見たのは高校時代に予備校に行っていた頃のこと。
予備校のエレベーター前に血を流している男子生徒(当時のサトウの彼氏)がおり、彼を「ぐう」で殴ったのが極悪サトウだったのである。
「えりりん」がサトウのオソロシサを知ったのは同じく予備校時代のことで、待ち合わせをして赴いた駅頭でやはり男子生徒(その次の彼氏)に暴行を加えているサトウの姿を見てしまった。男子生徒は胴体だけで頭部が見えなかったが、それはサトウが彼の頭部をコインロッカーの中に突っ込んで激しく折檻を加えていたためであったので、「えりりん」は恐怖のあまりその場で凍りついてしまったのである。
極悪サトウは卒業後も東京のビジネスシーンで大胆に出世街道を驀進しており、先般お会いしたときは「私、先生よりも稼いでるわよ」と呵々大笑していた。
恐るべし、サトウ。
サトウ話でエンジンがかかったせいか、そのあとは「えりりん」の独演会。
3時間われわれは「えりりん」の阪急百貨店秘話に笑い転げ続けたのである。
聞けば、「えりりん」はそのうちにサトウと「店子のヒロコ」を取締役に登用して起業を予定しているそうである。
もちろんそのときは老師も喜んで出資させて頂こう。
「えりりん」のサトウ話が定期的に聞けるなら、多少の出費は惜しくない。
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