2ちゃんねると子育て

2006-04-19 mercredi

火曜日は三年生のゼミと大学院のゼミだけ。
会議がないから、一週間でいちばん楽な一日である。
三年生の初ゼミの発表は「2ちゃんねる」。
大学院はカワカミ先生の「子育て論」。
「2ちゃんねる」は発表者以外に興味のあるゼミ生がひとりもいなかった(見たこともないという学生も多数)という、「ねらー率」がたいへん低い内田ゼミである。
やはりこれはゼミの指導教員とゼミ生は「似たもの同士」ということなのであろう。
私はもう3年ほど「2ちゃんねる」というものを見たことがないが、聴くところでは、いまだに「内田樹スレッド」は健在で、そこには私のラブライフについての詳細なレポートが書かれているそうである。
いったいどのようにしてそのような個人情報が漏出するのであろう。
まことに不思議なことである。
いったい私はどのようなワイルドなナイトライフを展開していることになっているのか、ちょっと読んでみたいような気もするが、ああいうものは「本人が読んでいる」ということがわかると書き込みがぐっと加熱するものであるらしいので、静かにスルーしちゃうのである。
興味のある方には申し訳ないけど、私の私生活の99%の時間は「ひとり」である。
ひとりでご飯を食べて、ひとりで風呂にはいって(ふつうひとりだな)、ひとりで本を読んで、ひとりで酒のんで、ひとりで映画みて、ひとりで寝ている。
残る1%の時間に何が起きているのかはもちろんこんなところには書くわけにはゆかない。

大学院の子育て論は、「子育て経験者」が聴講生にたくさんおられるので、議論がヒートアップする。
「子育ては苦役だ」という言い方も「子育ては至福だ」という言い方も、どちらも正しいと私は思う。
苦役でありかつ至福であるような経験。
もっとも人間的な経験はたいていそういう質のものである。
親の仕事の目的は、子どもが「親を必要としなくなる」ことである。
自分の存在理由を消去するために全力を尽くす。
そのような仕事だけが真に人間的な仕事である。
医者の理想は「病人がいないので、医者がもう必要でない世界」の実現である。
警察官の理想は「犯罪者がいないので、警察官がもう必要でない世界」の実現である。
それと同じように親の理想は「子どもが自立してくれたので、親の存在理由がなくなった状態」の達成である。
そういうものである。
いつまでも子どもが親の支援を必要とするような関係を作ろうとする親は、病原菌をばらまく医者や凶悪事件の発生に歓声をあげる警官と同じように、不条理な存在なのである。
子どもが成長することは親の喜びであり、子どもが成長して親を必要としなくなることは親の悲しみである。
喜びと悲しみが相互的に亢進するというのが人間的営為の本質的特性である。
楽しいか悲しいか、どちらかに片づけてくれないと気分が悪いというようなシンプルマインデッドな人は「人間に向いてない」と私は思う。

ゼミのあと、遊びに来た増田聡くん明日香さんご夫妻とIT秘書のイワモトくんと芦屋まで戻って、「江戸川」で鰻を食べる。
ぱくぱく。
みなさん美味しそうにお食べになる。
そのままわが家に移動して、さらにワインなどのみつつ歓談。
気がつくと11時。
増田くんご夫妻が近所(といっても堺だけど)に来てくれたので、これからはちょくちょく会える。
いつもはげしくインスパイアしてくれる若い友人がいることはありがたいことである。
さらに12時までIT秘書の身の上相談。
私のような非人情な人間に身の上相談をする人々の真情を私ははかりかねているのであるが、おそらくは「非人情」ゆえの「身も蓋もない」アドバイスが求められているのであろう。
というので、例によって身も蓋もないアドバイスをする。
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