茂木健一郎さんと応挙の襖絵を見に行く。

2006-04-17 lundi

香住の大乗寺は真言宗の古刹であるが、円山応挙の襖絵で知られたところである(私は知らなかったけど)。
どういうわけかその日本海岸のお寺に行って襖絵を鑑賞することになった。
春うららの播州路をBMWで快走して香住駅へ。
そこで鳥取空港からローカル線でやってきた茂木健一郎さん、橋本麻里さん、『BRUTUS』の鈴木副編集長と合流。
茂木さんは新潮の『和楽』という雑誌の仕事でこの襖絵を鑑賞しに来られたのである。
私は茂木さんと『BRUTUS』のための対談をお隣の城崎温泉でやることになっている。
橋本さんはその二つの仕事を同時にやってしまうために、私と茂木さんの対談ツーショットを大乗寺の永沢芦雪(ながさわ・ろせつ)の「群猿図」の前で撮るという荒業を繰り出したのである。
なぜ私がここにいて、こんな絵の前で、こんなポーズを取っているのか、ぜんぜん意味がわからないままに副住職の山岨眞應老師から大乗寺の空間が「立体曼荼羅」になっているという話を伺う。
何、「立体曼荼羅」?
その単語、聴いたことがある。
それも、ごく最近。
おお、そうだ。つい先日の「京都観仏ツァー」のおりに、同じ真言密教の東寺の講堂で、釈老師のご解説付きで拝見したばかりではないか。
さらに、そのときの話を前日の朝カルで釈先生を相手にしたばかり。
シンクロニシティ。
何か大きな力が私を仏教空間へ誘っているのであろうか。
応挙の襖絵「松に孔雀」を拝見する。
ちょうど夕日が真西から差し込んで、金箔が沈み込み、白黒の墨絵が、松は緑に、孔雀は極彩色に彩られているように見える。
雨戸を閉め切って手燭のあかりだけで見せて頂く。
東寺の講堂の仏像が造形的に鑑賞できるようにライトアップされていたのとは逆に、応挙の時代に見えていたままの状態を再現しようとしているのである。
視覚だけでなく、庭の松籟、冷気、畳の感触まで、五感をフル動員して宗教的空間が享受できるように精密に設計されている。
まことに贅沢な経験をさせて頂いた。
大乗寺のこの襖絵はあと1年後にはレプリカに取り替えられて、本物は収蔵庫にしまいこまれてしまうそうである。
襖絵が「現役」で宗教の「現場」にいるうちに、見ておくほうがいい。山岨老師によると、見学はいつでも歓迎だそうである。
(詳細こちらへ)

身体の芯まで冷え切って城崎温泉三木屋へ移動。
あの志賀直哉ゆかりの宿である。
この宿については「ヒロコの笑いネタ」があるのだが、ここでは紹介をはばかるのである。
お風呂にはいる暇もなく、夕食。
シャンペンで乾杯して、宴会モードで茂木さんと対談。
茂木さんとお会いするのは二度目である。
前に高橋源一郎さんと新宿の朝カルで対談したときに橋本麻里さんのご紹介で、ご挨拶をしたのである。橋本さんは高橋源一郎さんのお嬢さん、才色兼備のスーパーエディターである。でも、一緒に仕事をするのはこれがはじめて。
お酒が入っての対談なので、茂木さんとのおしゃべりは「放送禁止」話題が頻出して、編集者お二人はなんだか困っていたようだけれど、しゃべる方はまことに愉しかった。

この対談はこの後も定期的に行って、単行本にする予定だそうである。
そうなんですか。
知りませんでした。
10時で切り上げて、「御所の湯」へ。
ここは前回「城崎温泉麻雀」でスーさんたちと来た外湯である。
露天風呂で温まって宿にもどってさらに冷酒など酌みつつ、深更までおしゃべり。
茂木さんは翌日東京でテレビの仕事があり、午前5時20分にタクシーを呼んで鳥空港まで突っ走り、そこから飛行機で帰京されるそうである。
タフなスケジュールだなあ。
私は朝まで爆睡。温泉旅館の「日本の正しい朝ごはん」を頂いて、お二人の編集者とお別れして、青空の下、円山川沿いの満開の桜と川べりに咲く菜の花の間を疾走して芦屋に戻る。
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