スーさん率いる甲南麻雀連盟浜松支部が合気道稽古を兼ねて隊伍を為して芦屋に乱入してきた。
思えば昨夏、浜松軍団の城崎温泉「出石でそばくって城崎で温泉入って麻雀やりましょツァー」に単身参加し、開幕早々スーさんに国士をぶち当てて、ぼろぼろの戦績で芦屋に帰り着いた私のトラウマこそが甲南麻雀連盟構想の発端であった。
一応、私とスーさんは学問上の師弟関係であり、武道上の回り杯的には「大叔父-孫」関係であるので、甲南麻雀連盟の会長は(たとえ一敗地にまみれたとはいえ)私であり、スーさんはその浜松支部長。ヒエラルヒーは厳然として動かし難いのである。
しかし、その浜松支部の雀力侮りがたいものであることは、城崎で苦杯を喫した会長の骨身にしみている。
あちらは数年来年間40日卓を囲んで切磋琢磨されているのである。
こちらは月次例会を基本とし、会発足後に麻雀牌をはじめて握った会員いくたりかを擁する。
基礎的雀力にいささかのディスアドバンテージを認めざるを得ない。
とはいえ、ホームに迎え撃つ以上はそれなりの戦いぶりを示さねば。
しかし、結果は惨憺たるものであったことを悲しみとともにご報告せねばならない。
最初の半荘、西入りオーラストップであった私が最後の最後にスーさんに僅少差でひっくり返されて、「かちん」と来たところから日頃は精密機械のようにびしびしと上がりを決めてゆく私の打牌が微妙に乱れた。
国士のトラウマがまだ尾を引きずっていたのかもしれない。
会長以下、甲南麻雀連盟総崩れ状態となり、終わってみれば、二卓でのべ10半荘を行い、やいりくん4戦3勝、スーさん3戦2勝、おのちゃん3戦1勝、よっしい3戦1勝と、浜松支部が10戦のうち7つを制して圧勝を収めたのである。
弱雀次郎は(もちろん最初から戦力として期待していたわけではなかったが)さらに連敗記録を伸ばして第一期より通算12戦0勝。
一番乗りで駆けつけたヒラオくんも前期勝率一位のワタナベくんも麻雀ガールズも、気合いは十分であったがあえなく未勝利に終わり、わずかにホリノ社長とだんじりエディターと会長が一矢を報いたにとどまったのである。
スーさんご一行は「ぐふふふ。ふふふ。いつでも相手になりますぜ。がはははは」とわれわれの肺腑を抉るような勝ちどきを挙げて西宮方面に去っていった。
くやしい。
この四月一日の屈辱を永代にわたって魂に刻みつけるために、四月一日を「浜寇の日」と名づけることにした。
それはともかくスーさん「うなぎ」ごちそうさまでした。
小谷田さん、多田さん、せっかく遠路はるばる来て頂いたのに、騒がしくてゆっくりお話もできずに、すみませんでした。
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(2006-04-02 12:36)