花冷えの京都観仏ツァー

2006-04-01 samedi

釈徹宗老師と「京都観仏ツァー」。
2005年度後期の「現代霊性論」の課外授業。
履修した学生たちと釈先生の他大学での受講生や京都新聞の記者さん、本願寺の “魔性の女” フジモトさんなど多彩な顔ぶれで総勢23名が参加(フジモトさんはお昼になったら自転車でオフィスに帰ったけど)。
京都駅集合、観光バスでまず九条の東寺へ。
東寺は平安京の羅城門の東にあった呪鎮の寺である。
羅城門と西寺ははやくに消失したが、東寺は空海の真言宗の根本道場として残って、今日に至っている。
東寺のハイライトは五重塔(四回落雷で焼けて、いまは徳川家光寄進の五代目)と講堂の「立体曼荼羅」。
特別拝観なので、ふつうは入れない五重塔の中に入れてもらって、五重塔の構造と内装について解説を伺う。
五重塔の心柱が石の上に「乗ってるだけ」って知ってました?
他の構造体とつながってないので、上から引っ張ると抜けちゃうらしい。
瓦の重みや木材の収縮で塔自体は下に下がってゆくのに、心柱は長さが変わらない。
放っておくと五重塔から心柱だけ突き抜けてしまうので、時々心柱を切って、建物の本体との高さを合わせているのだそうである。
建立以来1200年。落雷で焼けたことはあっても地震で倒れたことはない。
たいへん高度な技術である。
今日本のゼネコンが作っている建物で、1200年後にまだ立っている建物があるだろうか?
私はありえないと思う。
建築技術の問題以前に、「1200年間その建物が存続することを人々が望み続けるような建物」を想像する力が私たちにはもうない。
次に講堂の立体曼荼羅(このタイプのものは世界でここに一つあるだけだそうである)。
「東方降三世、南方軍荼利夜叉、西方大威徳、北方金剛夜叉明王、中央大聖不動明王」というのは『船弁慶』や『安達原』や『葵上』で僧や山伏たちが唱える呪文であるが、そのままに明王像五体が並んでいる。
平安時代には、明王たちを招来することで祈り伏せられる魑魅魍魎がたしかにこの王都には存在していたのである。
仏像は美術品や鑑賞対象ではなく、本来は霊的経験への実践的な導入手段である。
これを熟視し、トランス状態に入ったときの平安の僧たち行者たちがどのような霊的異変を経験したのか。
それを想像すると背筋がすこしざわざわしてくる。
次は三十三間堂。
1001体の千手観音と二十八部衆プラス風神雷神。
二十八部衆の造形がすばらしい。
これほどオリジナルで自由闊達な発想とそれを実現する技術が日本にかつては存在したのである。
三十三間堂の外の荒涼たる現代建築との落差を見ると、日本人が時代が下るにつれて、創造力も想像力も失っていったということがよくわかる。
お堂で身体の芯まで冷えたので、南禅寺で湯豆腐を食べて、釈先生と昼酒を酌み交わし、ほろ酔いで宗教的経験とは何かについてお話。
そのままJR大阪駅でお別れするまでしゃべり続け。
この続きは朝カルで。
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