吉田城君とテロリストの言い分と学長のご苦労

2006-03-31 vendredi

三砂ちづる先生との対談集『身体知 -身体が教えてくれること』(バジリコ、1300円)がもうすぐ出ます。4月24日発売だけど、見本刷りが届いたので New Release としてご紹介しておきますね。
これで2006年は3冊目。あと何冊出るのでしょう・・・

朝から原稿書き。
これは明日締め切りの吉田城君の追悼文集のためのもの。
京大教授でプルースト研究の文字通り世界的権威者であった吉田君が急逝したのは去年の夏だった。
吉田君は私にとってただひとりの「高校時代の友だちで同業者」である。
得難い友人だった。
書き出しの部分を抜き出しておく。

吉田城君は1966年に僕が東京都立日比谷高校に入学したときの同期生である。
その頃の日比谷高校がどのような教育理念やプログラムで運営されていたのか、受験実績がどうであったのかというようなことは調べれば誰にでもわかる。その時代にその場所にいないと想像的に追体験することができないのは、そのとき、その場所を覆っていた「空気」である。当時の日比谷高校の「空気」がどういうものだったかを、それを吸ったことのない人に説明するのは難しい。
吉田君と僕はその同じ「空気」を15歳から18歳までの間、肺深くまで吸い込んだ。その「空気」を吸い込んだ人々は(本人の意志にかかわらず)ある種の微弱な人格特性のようなものを共有することになる。吉田君と僕も、それを共有していた。それが僕にはわかるし、彼にもわかっていたはずだ。
日比谷高校が僕たちの身体にしみつかせた残留臭気はごく微弱なものにすぎないから、それを部外者は滅多に嗅ぎわけることはできない。でも、その「匂い」はそれを吸って育った人間同士にはすぐわかる。
それは、「シティボーイの都会性」と「強烈なエリート意識」と「小市民的なエピキュリズム」に「文学的ミスティフィケーション」をまぶしたようなものだ(書いているだけでうんざりしてくるけれど)。
日比谷では受験勉強をまじめにすることが禁忌だった。定期試験の前に級友からの麻雀の誘いを断って「今日は早く帰るよ」と言うためには捨て身の勇気が必要だった。「勉強したせいで成績がいい生徒」は日比谷高校的美意識からすると「並の生徒」にすぎなかったからである。努力のせいで得たポジションで同期生のリスペクトを得ることはできない。試験直前まで体育会系のクラブで夜遅くまで汗を流したり、文化祭の準備で徹夜したり、麻雀やビリヤードに明け暮れたり、詩や小説を書いたりして、それでも抜群の成績であるような生徒だけが「日比谷らしい」生徒と見なされたのである。
いやみな学校である。
みなさんだって、そう思われるだろう。
しかし、「いやみな学校」だと思われるということ自体「シティボーイである日比谷高校生」にとっては受け容れがたい屈辱であった。だから、当然のように僕たちは必死になって「嫌われずにすむ」方法に習熟していった。
それが「『ミスティフィケーションしていないふりをする』というミスティフィケーション」である。
「僕らは何にも深いことなんか考えちゃいませんよ。ただ、何となくまわりに合わせて、気分に任せて、のほほんと生きてるだけなんです。成績なんて、ぜんぜんたいしたことないですよ」と、さわやかな笑顔で、控えめに、かつものすごく感じよくアピールすることができるのが「真の日比谷高校生」の条件だったのである。
450人いる同期の中で、そんなふうにスマートにふるまうことできた生徒はほんの一握りだった。吉田君は僕がそのリストに名前を記すことのできる数少ない日比谷高校生の一人である。

高橋源一郎さんと灘校時代の竹信悦夫君の話を集中的にしたせいで、私自身の高校時代のことも鮮明に甦ってきた。
60年代の終わりに少年だったというのはどういうことかについて追悼文には書いてみたい(まだ続きを書いてないけど)。

原稿を途中で止めて大阪へ。
JRで越後屋さんと待ち合わせて、堂島アバンザのヘラルド試写室へ。
『Vフォー・ヴェンデッタ』の試写会。
ワーナーのババさんとひさしぶりにお会いする。
『Vフォー・ヴェンデッタ』は英国のテロ事件のせいで公開延期になったいわくつきの映画である(それにしてもこのタイトル、なんとかならないのだろうか。意味わかんない)。見れば公開延期も当然かな・・・という気がする。
だって、「かっこいいテロリストが主人公」の映画なんだから。
でも、「かっこいいテロリストが主人公の映画」がテロがあったので公開できないという抑圧的なシチュエーションそのものが「テロリストの抵抗の大義」を傍証してしまうということに映画会社は気がつかなかったのだろうか。
気がついてたのか。
そうか。
宣伝のためにわざわざ公開延期にしたのか。
なるほど。
悪魔のように賢いな。
映画はたいへんに面白かった。
どういうふうに面白かったかは四月の『エピス』で。

映画を見てから宝塚へ移動。
二期六年お勤めになった原田学長のための慰労会である。
学務連絡会(本学における内閣官房みたいなものである)のメンバーで集まって、学長のご苦労をねぎらう。
ほんとうにご苦労さまでした。しばらくゆっくり休んで下さいね。
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