『複素的身体論』脱稿

2006-03-29 mercredi

終日原稿書き。
「複素的身体論」45枚を脱稿。
私を麻雀と合気道ばかりやっているお気楽大学教授だと思っている人はゼウスの雷撃に打たれるであろう。
これは岩波書店から出る『身体をめぐるレッスン』というシリーズの第三巻『脈打つ身体』の中の一章で、「対人的身体所作」というお題を頂いて書いたものである。
三月末日締め切りで、ちゃんと3月29日に書き上げた。
これで三月末日締め切りの原稿を二つ片づけて、あと一つを残すばかりとなった(まだ一行も書いてないけど、明日一日で一気書きする予定)。
これほど勤勉な人間であるにもかかわらず、「ウチダは仕事が遅い」という非難の声が絶えない。
残酷なことを言うものではない。
『九条どうでしょう』に続いて、このあとに『態度が悪くてすみません』(角川新書)が来月出て、そのあと三砂ちづる先生との対談集『身体知』(バジリコ)が出て、甲野善紀先生との対談集(タイトル未定、バジリコ)が出て、『子どもは判ってくれない』(文春新書)が出て、岩波の『身体をめぐるレッスン』が出て、平川くんとの共著『東京ファイティングキッズ2』(バジリコ)が出て、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)が出るのである。
夏までに8冊出すんだよ(その後も年内に2冊書かないといけない)。
その間に毎月新聞連載を3本書いて、合気道と杖道と能楽を稽古して、甲南麻雀連盟の三冠王を死守して、映画を年間300本見て、毎日ブログを更新して、その上、大学の授業を週6コマやって、教務部長として大学の行政職の仕事をやっているのである。
死んでいないのが不思議なくらいである。
メールの返事が遅いとか、電話口で横着な口をきくなとか、手紙の返事をなぜよこさないとか、書類の提出が締め切り過ぎたとか、約束を忘れるなとか、ダブルブッキングするなとか、伝言をちゃんと聞いておけとか文句を言われてもさ。
無理よ。
一人の人間ができる仕事量をもろにオーバーフローしてるんだから。
私は決して怠惰な人間ではない。
約束だってできるかぎりは守ろうとしているし、会いたいという人には時間を割いて会ってるし、寄稿だって講演だってインタビューだって対談だって、頼まれればできるだけ引き受けるようにしている。
仕事というのは自分で選ぶものではなくて、仕事の方が私を選んでくるものだと私は考えているし、学生にもそう教えている。
「できる仕事」か「できない仕事」かは自分で決められるものではない。
「やってください」という仕事は、先方が「できる」と判断しているからこそオッファーされたものである。
だから、「物理的にできない」ということがわかっている以外の仕事は全身全霊を挙げて引き受けるようにしている。
それでこんなことになってしまったのである。
愚痴が多くなってすまない。
さ、風呂に入って、焼きそば作って、ビール飲んで、それから『私の頭の中の消しゴム』見なくちゃ。
昨日は『親切なクムジャさん』を見た。
イ・ヨンエって、きれいだなあ。
美しい人を見ると、生き返る思いがする。
「・・・・ふん」と頷くシーンがあるけれど、イ・ヨンエの「・・・・ふん」は『チャングム』のまんま。
いいよね、「ふん」。
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