今年度最後の会議の日

2006-03-21 mardi

2005年度最後の入試委員会、学務委員会、教授会。
この一年間まことによく会議に出席した。
計算したことないけど、たぶん300回は超えているであろう。
一日5つ会議なんていう日もあったから。
最後の教授会ではまたまた面倒な問題が議論されて、私も頭がぷっつんと切れて「がおがお」と発言する。
結果的には私の出した動議をウエノ先生が修正したものが採決されることになった。
「ウチダが暴れてウエノが収める」という展開について、「あれは台本があるんですか?」とあとでクールなニシダ先生からクールな笑顔で訊かれてしまったが、台本はありません。
でも、なんとなく長年会議をやっていると「阿吽の呼吸」というのができてくる。
議論の「着地点」がだいたいこの辺になりそうだという見通しが立つと、そこに着地するように、「急進的な意見」と「穏健な意見」の「混合比」をそれぞれの立場から配分するわけである。
高校生の昔から、「原則主義的にして急進的な意見」を言って、その場を壊乱状態に導くのがつねに私の役割であった。
ご存じのように、私は原則主義的な人間でもないし、急進的な人間でもない。
どちらかといえば「根回し、腹芸、言わず語らず、肝胆相照らす、ふふふ越後屋おぬしもワルじゃのう」的コリドール・ネゴシエーションを本務とするところの人間である。
あるいはそういう人間であるからこそ、「原則主義的にして急進的意見」というものがどういうものであって、どういう効果をもたらすのかについて計量的になりうるということなのかも知れない。
そのわりには本気でこめかみに青筋が立っていたようですが?
ふふ、あれ「演技」なんです。
教授会のあと、島井先生が主催する e-learning 研究会の年次報告会に出席。
携帯メールをシャトルカードに使うシステムについて、iPodをプレゼンテーションに使う方法について、ブラックボードのBBSとMLをつかった授業のフォローアップについて、研究室内の複数のPCのデータを同期するシステムについて、出口先生、池見先生、三杉先生、西田先生のニッチにしてコアな発表を聞く。
飛び交っているテクニカルタームの40%くらいは私には意味不明である。
私は「e-learning は文科省の陰謀か?」というトンデモ題で発表することになっていたが、さいわい時間切れとなって、ハイブラウな学術的雰囲気を一気に床屋政談レベルにたたき落とす好機を逸したのである。
この研究会に参加しているおかげで、島井先生から研究費の配分に与り、そのお金で私は去年(今こうして使っている)VAIOのデスクトップを購入することができたのである。理解できない話を2時間がまんして聞くくらいの苦役はなんでもないことである。
さて、私は e-learning というのは大学の教育のメインには使えないが、教場での授業を支援する副次的な教育システムとしてはたいへん機能豊かななものたりうると評価している。
それは「いまここにいない人」との予備的なあるいは追跡的なコミュニケーションが可能になるからである。
私が考えているのは「現在大学に科目登録していない学生」に対する卒後教育である。
現在科目登録している学生は情報処理センターからパスワードとIDをもらっているから、大学のシステムを利用することができる。
けれども、大学の教育というのは大学四年間で終わるはずのものではない。
これは私の持論である。
大学教育のアウトカムは定量的な測定が困難である。
上場企業への就職率とか卒業時のTOEICの点数とかいう数値的なものでも近似的には表示できるかもしれないが、それは教育活動のアウトカムのほんの一部にすぎない。
学生たちに骨肉化された教育成果は、場合によっては卒業後50年して、死の床においてはじめて「ああ、私の人生を豊かにしてくれたのは大学時代に受けた教育の成果であった・・・」と懐旧的に評価されるということだってある。
というより、卒業時点で数値的に計量可能なものよりもむしろ、そのように長いタイムスパンを経たあとにようやく確証されるような教育的アウトカムこそ、良質な成果と考えることができるのである。
だが、どこでも大学は「入学前教育」(リメディアル教育)には熱心だが、「卒後教育」には関心を示ささない。
せいぜい同窓会の文化的活動くらいしかない。
だが、卒業した元・学生は、しばしば大学発信の学術情報に対して在学生以上に感度が高く、大学の教育的リソースについて在学生以上につよい関心を持っている。
彼女たちを「卒業後もひきつづき教育し続ける」ことが大学に可能な、だがまだ試みられていない重要な仕事ではないか。
私はそう考えている。
だが、卒業生たちはもう定期的に大学を訪れることはできない。
IDもパスワードももっていないから、大学の e-learning システムには参入できない。
e-learning による教育機会からもっとも大きなベネフィットを引き出しうるし、現に活用することを望んでいるのは遠隔地にいるこれら卒業生たちであるにもかかわらず、そのチャンスが構造的に失われているのである。
もちろん、科目等履修生や聴講生や院生としてふたたび大学に戻ることはできる。
だが、遠隔地ではそれもままならないし、フルタイムの仕事に就いている場合は近場に住んでいても負荷が大きい。
彼女たちの多くが望んでいるのは、遠近にかかわらず、また現在の仕事を通常のペースで続けながら、同時に大学の発信する教育的リソースに自由に直接コンタクトする機会を保持することであるように私には思われる。
卑近な例で言うと、卒業論文を私はネット上で公開している。
二年間いっしょにすごしたゼミ生同士は友だちがどんな論文を書いたのか知りたいはずである。自分自身の論文が客観的にどの程度のクオリティのものかを比較考量してみたいはずである。
けれども在学生のためのブラックボードのフォーラムに卒業生はもう入ることができない。
しかしアクセスフリーのブログ上に公開することは学生たちの個人情報保護の立場からも避けたい。
となると学籍のない元学生たちのためには、私が個人的にフォーラムを運営するしかない。
というわけでこれまではとりあえずブログ上にSEMINARというものをつくって、そこにクローズドのフォーラムを作り、ゼミ生同士のコミュニケーションの場を確保している(卒論もそこで公開しているから、ゼミの在学生も読むことができる)。
それに加えて、mixi上に「ウチダゼミのコミュニティ」を作って、そこでゼミ同窓生間のネットコミュニケーション機会を確保しようと考えている。
コミュニティの参加者を私がチェックできるから、セキュリティ面でもたぶんそれほど心配はいらないだろう。
使えるシステムはあれこれためしに使ってみて、「卒業後の e-learning」機会をどう保証するか・・・という主題についてしばらく技術的な試行錯誤をするつもりである。
研究発表会のあと、「花ゆう」にて打ち上げをかねて池見先生の送別会。
人間科学部の先生方(池見、西田、寺嶋、遠藤、出口、島井)と総文の二人(三杉先生と私)というふしぎな取り合わせの宴会であったが、「ここだけの話・・・」「いや、ぶっちゃけた話・・・」が飛び交い、たいへん愉快にして有意義な一夕であった。
考えてみると、本学では他学部他学科の先生たちと「遊ぶ」機会がほとんどない(私も極楽スキーだけである)。
むかしは中高部の教員や職員たちも含めて、みんなでしょっちゅう野球をやったりテニスをやったりハイキングに行ったりしたという話を先日山本先生にお聞きした。
そういう機会が減ったことが学内での合意形成に手間ひまがかかるようになったことの一因かも知れない。
この研究会は私にとっては人間科学部の理系の先生たちと親しくまじわるレアな機会であるので、ぜひ来年度以降も「ウチダくんはITリテラシー低いからねえ・・・」なんて言って見捨てないで、仲間にとどめておいて頂きたいと思っている(出口先生よろしくお願いしますね)。
ほんとに。
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