今日も会議で日が暮れて

2006-03-15 mercredi

朝の10時半から12時半まで会議。
それからD口先生とオリエンテーションの打ち合わせ。
そのあと現代GPのためのWGの会議が午後4時から7時過ぎまで。
どうも会議が多すぎるような気がする。
昨日、三菱東京UFJ銀行(書くのめんどい)のH間支店長にお尋ねしたら、銀行支店で会議が開かれるのは週一回だけだそうである。
生き残りバトルのさなかにある金融業界の最前線で会議が週一。
本学も生き残りバトルのさなかにあるとはいう点では銀行と変わらないはずだが、私が出なければならない会議が週に(多いときだと)20に近づく。
ひとつひとつの会議時間もたいへん長い。
朝から晩までずっと会議で、それ以外に何の仕事もできない日というのがよくある。
これをして「仕事をしている」と言ってよろしいのか?
仮に銀行の支店長以下おもだった管理職のかたがたがこのペースで会議に明け暮れていた場合、当該銀行は旬日を出でずして倒産するであろう。
会議をたくさんやったおかげで企業の売り上げが増大し、社員の士気がばりばり向上するという事例を私は寡聞にして知らない。
民間企業であればたちまち倒産するような頻度で会議が開催され得るということは、まちがいなく本学の組織強度がインヴィンシブルにタフであることを証示している。
そこから、「それほどタフな組織なら、会議なんかしなくてもやっていけんじゃないの・・・」と推論することは間違っているであろうか?
と反語疑問を呈してはみたが、なんだか間違っているような気がする。
第一、うかつにそのような問題提起をした場合、ただちに「会議削減委員会」が召集せられ、提議者である人物がその委員会の長に任命され、委員の委嘱、議事録の作成、弁当の手配、当該委員会の活動成果についての自己評価などの負荷を引き受けるリスクは量りがたい。
各セクション各職階の仕事がそれなりのルーティンを守り、その間の調整が廊下ですれ違ったときに立ち話で「このあいだの件、あれしといてくれる」「はいはい、何しときます」「んじゃ、よろしく」「はいほー」で済むのであればこれほどの数の会議はもとより不要のものである。
私はなるべくそのように心がけているのであるが、それでも私を会議に呼び出す人がいっこうに減らない。
おそらくは、私が「はいはい、何しときます」と言って振り向いて三歩歩くとそのことを忘れるニワトリ頭だということを同僚諸氏が熟知されているからであろう。
しかし、彼らは私が会議室を出て三歩歩くとやっぱりそこでの申し合わせをころっと忘れてしまうことを忘れているのではないか。
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