慟哭の確定申告

2006-03-13 lundi

たいへんだ。
確定申告の期限まであと二日しかない。
どうしよう。
明日は三宅先生のところに11時に行って、14時からNHKのインタビューがある。
明後日は朝の10時半からずっと会議だから税務署に行ってる暇がない。
ということは明日の11時までのあいだにソッコーで書類を作って放り込むしかないということである。
一月もあったのに一日延ばしにしていたツケが回ってきた。
私は足し算が苦手である。
非常に、と申し上げてよろしいであろう。
足し算が苦手だということは、当然四則計算すべてが苦手ということであり、分数の割り算だとか対数だとか微積だとかいうものははるか理解の外である。
そのような人間がどうして数学が入試に含まれていた大学に合格できたのか、いくら考えても「奇跡」としか思われない。
しかし、「奇跡」というのはあまり起こらないものなので、たぶん私は人生の一時期にその数学的能力のストックをすべて使い果たしたというのが真実に近いのであろう。
甲南麻雀連盟の点数表をエクセルで作っているけれど、それでもときどきどことどこを足したらいいのかわからなくなる。
エクセルで足し算間違えるのは恥ずかしい。
私の場合、数字に「円」が付くと計算能力がさらに低下する。
珠算の場合などはわざわざ数字に「円」をつけて読み上げるわけであるから、私どもの社会のマジョリティのかたがたは数字に「円」がつくと、そうでない場合よりも計数能力が向上するらしい。
どうして私の場合は逆になってしまうのであろうか。
私がお金を疎んじているということでは断じてない。
ほとんど愛していると言って過言でないことは私がときどき定期預金の残高を眺めて薄ら笑いを浮かべている姿を見れば(見せないが)容易に推量できることである。
あるいはその過剰なまでの愛が私の日頃は活発な計量的知性を阻害しているのかも知れない。
養老孟司先生によると、私は数学的な論理で思考する人間だそうである。
あまりに数学的な頭のつくりになっているせいで、算数的なことができないということがあるいはありうるのだろうか?
ありえない。
これは私の数学的知性が一秒で下した結論である。
おそらく私の思考は「ものごとをぐちゃぐちゃにして、ひとを煙に巻く」という方向にある時期から爆発的に進化したのであろう。
その進化が私自身の生存戦略上たいへん好ましいものであったことは、私のような態度の悪い人間がまだ存命しているという事実によって確証せられている。
飽食しつつダイエットすることが無理であるように、私のようなあらゆることをいい加減にしている人間が、確定申告時になると水を得た魚のようにさくさくと税務書類を書き上げるというようなことがあってはならない。
自然の摂理である。
毎年確定申告の足し算を間違え続けるという苦しみによって私の横着な生き方が免罪されるのであれば、決して悪いバーゲンではない。
そう思うことにしよう。
そうだ、IT秘書みたいに、ボランティアの税務秘書を雇い入れればよいのだ。
F塚くん、どうかね。
キミは確か長大な数字リストの計算がぴたりと合うとき深い喜びを感じるという理由で文学研究者の道を棄てて簿記の道を歩んだのではなかっただろうか。
来年からはキミに頼もう。
「先生・・・これ、ただの足し算じゃないですか。こんなのが出来ないんですか?」
とキミは驚愕するであろう。
そうだよ。
できないんだよ。
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