村上春樹の自筆原稿を担当編集者だった安原顯が古書店に売り払った事件について、『文藝春秋』に村上春樹自身がこの「名物」編集者との奇妙なかかわりについて回想している。
私は安原顯という人の書いたものをほとんど読んでいない。
ジャーナリズムの一部では「玄人好み」の評が高かったことを記憶しているが、わずかに読んだ文芸時評やエッセイ類からは「ずいぶん圭角のある人だ」という印象を受けたことしか覚えていない。
その人物と作家とのジャズバー経営時代からの二十五年にわたった交渉を綴った文章の中で、村上春樹は安原顯についてふたつ重要なことを書いている。
私は安原顯という人には興味がないが、彼が体現していた日本の文壇的メンタリティにはいささか興味があるのでここに採録するのである。
ひとつは安原顯が中央公論を口汚く罵倒しながら、サラリーマンをなかなか辞めなかった点について。
「どれほど突っ張っていても、サラリーマン的な生き方はこの人の中に意外に深く染みついているのかもしれないと、そのときふと考えた。僕は一度も会社勤めをしたことがないので、『中央公論社の社員』という肩書きがどれくらい大きなものなのか、それが与えてくれる安定した収入がどれくらい重要な意味を持つのか、実感としてよくわからない。それでも、会社の存在を都合良く利用しているのなら、そこまで悪し様に罵倒することもないんじゃないかと思った。会社という組織をうまく利用するのはもちろんかまわない。しかしそれなら、口にする言葉はやはり選ぶべきではないか? それなりの含羞というものはあってしかるべきではないか?」(村上春樹、「ある編集者の生と死 安原顯氏のこと」、『文藝春秋』、2006年4月号、267頁)
この「含羞」という言葉に村上春樹の安原批判の鍵があるような気がする。
私たちの自己評価と世間からの外部評価との間には必ず落差がある。
その落差はよほどアンバランスな場合でなければとくに害にはならない。
外部評価より高い自己評価は自己嫌悪を防いでくれるし、自己評価より高い外部評価は向上心を起動させてくれる。
ピース。
でも、自己評価が分裂している場合はそれほど簡単ではない。
自分には才能があるという自惚れと、自分には才能がないのではないかという猜疑がせめぎ合っている場合。
自分は潔白だという確信と、自分は有責だという疚しさが同時に自分の中にある場合。
そういう場合に私たちはなんとも片づかない心理状態になる。
含羞はその「バランスの悪さ」の一つの現れである。
バランスの悪さにはほかにもいろいろな現れ方がある。
含羞は(わかりにくい言い方を許してもらえるなら)その中でも「バランスのよいバランスの悪さ」である。
「すがすがしい負けっぷり」とか「生き生きとした死に方」とか「暖かみのある冷淡さ」とか、そういうものと似ている。
「バランスのよいバランスの悪さ」は人間の美質のうちで私がいちばん評価するものの一つである。
わかりにくくてすまない。
話を戻すと、安原という人は村上春樹の文章を読むと「バランスの悪い、バランスの悪さ」に居着いてしまった人のようである。
そして、ある日手のひらを返したように安原顯は「自分が育てた」と言っていた当の村上春樹批判を始める。
「そしてある日(いつだったろう?)安原さんは突然手のひらを返したように、僕に関するすべてを圧倒的なまでに口汚く罵り始めた。(…) その批判のあまりの痛烈さに僕は度肝を抜かれた。そこには紛れもない憎しみの感情が込められていた。一夜にして(としか思えなかった)いったい何が起こったのだろう?いったい何が、安原さんをして僕の『敵』に変えてしまったのだろう? 正直言って、僕にはまったく見当がつかなかった。」(270頁)
私はこの「豹変」の記述はかなり正確なものではないかと思う。
何か具体的な行き違いがあって生じた不仲とは違う、もっと本質的な嫌悪がおそらく編集者のうちに兆したのである。
その理由について(直接的にではないが)、村上春樹は安原顯自身の自己の「作家的才能」についての評価誤差があるのではないかと推測しているようだ。
「安原顯氏が小説を書いていたことを知ったのは、かなりあとになってからだ。彼はいくつかの筆名で、あるいは時に実名で短い小説を書いて、それを文学賞に応募したり、あるいは小さな雑誌に発表したりしていた。(…) 正直言って、とくに面白い小説ではなかった。毒にも薬にもならない、というと言い過ぎかもしれないが、安原顯という人間性がまったくにじみ出ていない小説だった。どうしてこれほど興味深い人物が、これほど興味をかき立てられない小説を書かなくてはならないのだろうと、首をひねったことを記憶している。(…) これだけ派手なキャラクターを持った人ならもっと面白い、もっと生き生きとした物語が書けていいはずなのにとは思った。しかし人間性と創作というのは、往々にして少し離れた地点で成立しているものなのだろう。
知る限りにおいては、彼の小説が賞を取ることはなかったし、広く一般の読者の注目を引くこともなかった。そのことが安原さんの心を深く傷つけたようだった。(…) 安原さんがその人生を通してほんとうに求めていたのは小説家になることだったのだろうと今でも思っている。編集者として多くの作家の作品を扱ってきて、『これくらいのものでいいのなら、俺にだって書ける』という思いを抱くようになったのだろう。その気持ちはよくわかる。また書けてもおかしくはなかったと思う。しかし、何故かはわからないのだが、実際には『これくらいのもの』が書けなかったのだ。」(267-8頁)
「眼高手低」という。
創造よりも批評に傾く人は、クリエーターとしてはたいした仕事はできない。
これはほんとうである。
私自身がそうであるからよくわかる。
私もまた腐るほどたくさんの小説を読んできて、「これくらいのものなら、俺にだって書ける」と思ったことが何度もある。
そして、実際には「これくらいのもの」どころか、一頁さえ書き終えることができなかった。
銀色夏生さんは歌謡曲番組をTVで見て、「これくらいのものなら、私にだって書ける」と思って筆を執り、そのまま一気に100篇の歌詞を書いたそうである。
「作家的才能」というのはそういうものである。
努力とか勉強とかでどうこうなるものではない。
人間の種類が違うのである。
作家と編集者の間には上下の格差や階層差があるわけではない。
能力の種類に違いがあるだけである。
けれども、これを人間的資質の差や才能の差だと思う人がいる。
不幸な錯覚であるけれど、思ってしまったものは仕方がない。
安原顯が村上春樹を憎むようになったきっかけは、安原の作家的才能に対する外部評価が、彼が望んでいるほどには高くなかったことと無関係ではないだろう。
作家の直筆原稿という生々しいオブジェを換金商品として古書店に売り飛ばしたというところに私は安原の村上春樹に対する憎悪の深さを感じる。
原稿を「モノ」として売るということは、作品をただの「希少財」(珍しい切手やコインと同じような)とみなしたということである。
死にかけた人間がいくばくかの金を求めてそんなことをするはずがない。
これはおそらく作品の「文学性」を毀損することだけを目的としてなされた行為と見るべきだろう。
「こんなものは文学じゃない。これはただの商品だ」
安原顯はそう言いたかったのだと思う。
死を覚悟した批評家が最後にした仕事が一人の作家の文学性そのものの否定であったという点に私は壮絶さに近いものを感じる。
どうして村上春樹はある種の批評家たちからこれほど深い憎しみを向けられるのか?
この日記にも何度も記したトピックだが、私にはいまだにその理由がわからない
けれどもこの憎しみが「日本の文学」のある種の生理現象であるということまではわかる。
ここに日本文学の深層に至る深い斜坑が走っていることが私には直感できる。
けれども、日本の批評家たちは「村上春樹に対する集合的憎悪」という特異点から日本文学の深層に切り入る仕事に取り組む意欲はなさそうである。
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(2006-03-12 20:16)