風水の話

2006-02-16 jeudi

会議のあいまに朝日新聞社の出している『大学ランキング』の取材が入る。
大学ランキングという以上、もっとも重要なのは、その大学が高等教育機関として、どのような教育資源を持ち、どのようなポリシーのもとで、どのようなプログラムを展開して、どのような成果を上げているかということである。
だが、大学の財務内容とか偏差値とか就職率といった定量的なデータは数値的に表すことができるが、教育のアウトカムを質的に評価することはきわめて困難である。
というか、ほとんど不可能である。
「ああ、そういえば自分の人生を豊かにしてくれたのは大学のときに受けた教育であったのだなあ」と90歳で息を引き取るときに臨終の床ではじめて気づくということがありうるからである。
定性的アウトカムは「やあ、なかなかいい学校だったよ」というような主観的なことばでしか語れない。
「どこがよかったのですか? あなたは大学で何を得たのですか? 200字以内でお答えください」と問い詰められても、困る。
ビジネス誌では「卒業生に社長が何人いるか」というようなデータを出して、教育成果をランキングしているところがある。
だが、「社長になる」ということが人間的なアチーブメントの指標であるという判断に私は簡単には同意できないし、10万人の大学と2500人の大学を比べても意味がない。
大学を定性的に評価するにはどうすればよろしいのか、というのが『大学ランキング』の記者さんのお訊ねである。
そんなこと訊かれても・・・
本学が誇る教育資源の核心部分は「見えざる資産」(invisible assets) というかたちをとっているので、数値的エビデンスを示すことができない。
例えば、本学は「風水的ロケーション」において、たぶん日本一である。
学会で日本中の大学を経巡ったが、立地にそれなりの風水的配慮が見られるのは、幕藩体制のころの藩校や江戸時代の私塾が母体になっているところだけである。
しかし、それらの伝統的な大学も「手狭だから」というような理由で郊外の空き地に移転したり、無計画な建て増しをしたせいで、ほんらい備えていた風水の力は失われている。
とくに国公立大学がひどい。
たいていの場合、国公立大学は「そこに広大な空き地があったが、それまで誰もそこに住もうとしなかった場所」に建てられている。
そういう場所は風水が悪いから誰も住まなかったのに決まっているのだが、役人の想像力はそういう方面には機能しない。
風水の格好の事例はJR大阪駅前である。
駅の正面、北新地や堂島へ抜ける最高のロケーションにいくつか大きなビルがある。
なぜかこれらのビルにはあまりテナントが入っていない。
入ってもすぐにつぶれるらしく、次々と入れ替わる。
夜の8時頃になるとあかりが点っている部屋もあまりなく、ビル全体がどんより暗くなり、繁華街の真ん中にエアポケットのように「暗く寂しい場所」が拡がっている。
よほど感覚の鈍い人間以外はそれらのビルに寄りつかない。
風水が悪いからである。
JR大阪駅は明治時代に商都大阪のいちばん北のはずれの「何もない空き地」に建てられた。
梅が生えていたので「梅田」と呼ばれていた淀川のだだっぴろい河川敷である。
いまの北新地までと、その北、JR大阪駅までのあいだにはあきらかに「湿度」の段差がある。
たぶん新地までが「硬い地面」で、その先は蛇や蛙が盤踞する「ぬちゃぬちゃした沼地」だったのだろう。
沼には「沼気」というものがあり、「瘴気」に通じる。
そういうものが完全に消えるまでには100年程度の時間では足りないのである。
こういう話をすると、ほとんどの男たちは「何を非科学的な」と気色ばむ。
でも、女子学生たちはたいてい深く頷いてくれる。
彼女たちにはわかっているのである。
だから岡田山を選んでやってきたのである。
でも、そういう「見えざる資産」は『大学ランキング』には決して取り上げられない。
「なんとかなりませんか」と朝日のコバヤシ記者を責め立てる。

ライブドアからメールが来た。
ライブドアのサイトにライブドア論を書いてくれというご依頼である。
趣旨は次のごときものである。

弊社は 2006 年 1 月 16 日より東京地検特捜部及び証券取引等監視委員会の捜索・押収を受けました。
また、当社ならびに当社代表取締役社長兼最高経営責任者(当時)の堀江貴文、ほか 3 名が証券取引法違反の疑いで逮捕・起訴された事実を確認いたしまして、このような現状ではございますが、ポータルサイト「livedoor」には、月間約 1400 万人のユーザーの皆様のご来訪を頂いており、ある種メディアとしての「公共性」を備えているものと考えます。
今回 livedoor ニュースでは、上記の認識に立ち、メディアとしての自浄能力、自己批判能力を発揮すべく、「ライブドア事件」に関し、各界の有識者、オピニオンリーダーの皆様からの寄稿を頂くコーナーを企画致しました。

ライブドアの前経営者たちの行為の犯罪性はいまも日々あきらかにされているが、もちろん社員全員が同罪であるわけではない。
中にライブドアの「メディアとしての自浄能力、自己批判能力」を発揮せねば・・・とまなじりを決している人々がいてもおかしくない。
私はその志を多とする。
多とするけれど、別にもう書くことがない。
だから、これまでブログに書いたものから適当に切り貼りしてご自由に転載してくださいとご返事する。
私のブログはリンクフリー、コピーフリー、剽窃フリーである。
コピペするのが個人でも企業でも私の対応は変わらない。
原稿料は頂かない。
「金で買えないものはない」と豪語した前経営者に対する私からのささやかなメッセージである。
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