業務連絡2件

2006-02-15 mercredi

(1)「朝カルのあとのプチ宴会へのご案内」
来る3月22日、新宿朝日カルチャーセンターにて、平川克美くんとトークをすることは既報の通りですが、毎度講演のあとに「じゃ、そのへんで軽くビールでも・・・」ということになって、それからみんなで右往左往するということがままあります。
今回、三軸修正法の池上六朗先生と三宅安道先生から「講演のあとにごいっしょにご飯でも」とお誘い頂いた折りに、「友人たちとのジョイント打ち上げでもいいですか」とお願いしたところご快諾下さいました。
つきましては、池上先生が会場予約の関係で、だいたいの人数を把握したいということですので、お手数ではありますが、「朝カル対談のあとに生ビールを飲む会」に参加ご予定の各社編集者ほかのみなさまは私あてにメールにてご一報いただけますでしょうか。お願い申し上げます。
平川君、そういうことですので、よろしくね。

(2)「石原都知事のフランス語発言に抗議する会」のHPが更新されました。
この話は前に当ブログでもご紹介しました。
旧東京都立大の仏文研究室のみなさんが原告団のコアメンバーを形成しておりますので、私もご縁あって支援者の一員に加わっております。
石原都知事のフランス語発言というのは2004年の10月に首都大東京をサポートする会員制クラブ The Tokyo U-Club でなされたものです。
それについて当時私がブログに書いた内容を再度ご紹介しておきます。
ここに書いた考えは今でも変わっておりません。

首都大学東京について、小さなニュースがあったので続報をお知らしておこう。
去年の秋に「首都大応援団」設立総会というものがあった。
開学予定の「首都大学東京」をサポートする会員制クラブ「the TokyoU-club」というものを石原都知事の音頭取りでつくられたのである。
その設立総会が04年10月19日に都庁で開かれた。
席上、会長に就任した高橋宏・首都大理事長予定者はあいさつの中で
「大学全入時代、学校さえ選ばなければバカでもチョンでも、そこそこの大学に入れる時代が3年後に来る。首都大学東京は世界の共通の財産。有識者の声を反映した、いい大学にしたい」と発言したと伝えられている。
その模様を報道した、毎日新聞は「『チョン』は韓国・朝鮮人に対する差別的表現との捉え方もあり、今後、批判が出る可能性もある」としている。
一方、石原慎太郎知事は祝辞で、都立大の COE 返上問題に触れ、「一部のバカ野郎が反対して金が出なくなったが、あんなものどうでもいい」と述べた。
また、都立大でフランス文学やドイツ文学を担当する教員に首都大の構想に批判的な教員が多いことに関して、
「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが反対のための反対をしている。笑止千万だ」と話したと伝えられている。(毎日新聞 2004 年 10 月 20 日 24 面より)

この件については全国紙でも報道されたからご記憶のかたも多いと思う。
私もかつては都立大の「フランス文学」の教員であったので、あのまま在職していれば「そういうものにしがみついている手合い」にご算入いただけたはずであるので、人ごとではない。
フランス大使館はどうして抗議しないんだろう…いろいろ外交的配慮があるのかね、と思っていたが、フランス語学校を経営するひとりの民間フランス人が抗議の声をあげた。
その公開質問状の文言は以下の通り。

通知人マリック・ベルカンヌ(Malik BERKANE、以下私という)は、被通知人石原慎太郎殿(以下貴殿という)に対し、以下のとおり通知します。
1、私は、東京都港区赤坂8丁目4番7号において、フランス語学校「クラス・ド・フランセ」を経営しています。「クラス・ド・フランセ」は、1988年 11 月に創立され、現在、教師12人、生徒約300-350人を教え、日仏両国の交流と発展のためフランス語教育に取り組んでいます。
2、さて、東京都知事である貴殿は、去る 2004(平成 16)年 10 月 19 日、首都大学東京をサポートする会員制クラブ the Tokyo U-clubの設立総会において、「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものに しがみついている手合いが反対のための反対をしている。笑止千万だ。」との発言をしたと報じられています。
 仮にこの報道内容が真実であるとすると、貴殿は、「フランス語は数を勘定できない言葉」であるとの虚偽の事実から、フランス語は「国際語として失格している」との、それ自体誤った事実を推論し、これら誤った事実を基礎にして、フランス語が「国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。」という、誤った事実に基づく不当な感想を述べ、続いて、「そういうものにしがみついている手合い」、「笑止千万」との愚弄的な表現を用いて、フランス語教 育に関わる者に対し、人身攻撃にわたる不相当な評価を下し、これらの人々の名誉を毀損したものといわざるをえません。
 また、東京都知事である貴殿の知名度、マスコミでの取り上げられ方、社会的影響力等に鑑みると、「フランス語は数を勘定できない言葉」であるとか、「国際語として失格している」との虚偽の事実を、多くの東京都民その他日本国民が真に受ける虞も少なからず存在し、「クラス・ド・フランセ」やその他のフランス語学校の業務に支障を与える虞も無視できないものがあります。
3、現在、世界1億7千万人の人々がフランス語を常用していると言われています。また、国連等の国際会議においても、フランス語は公用語として用いられています。東京都は、1982 年、フランスの首都パリと姉妹友好都市協定を締結し、2005 年は EU―日本市民交流年でもあります。
 このような諸状況に加え、多くの人々が日仏の友好発展のためにこれまで積み重ねてきた努力と営為を思うとき、他国の文化の集積・結晶である言語を、誤った事実認識に基づき、一方的に貶める上記発言は、絶対に許容されないものといわなければなりません。
4、そこで私は、貴殿に対し、以下のとおり釈明を求めます。
(1)貴殿が上記報じられた内容を発言したのは、真実ですか。
(2)「フランス語は数を勘定できない言葉」であるとの事実摘示が真実でないことを、貴殿は承認しますか。仮に承認できないとすると、貴殿は、いかなる根拠に基づき、具体的にいかなる事態を指して、かかる発言をしたのですか。
(3)フランス語が「国際語として失格している」との事実摘示が真実でないことを、貴殿は承認しますか。仮に承認できないとすると、いかなる根拠に基づき、具体的にいかなる事態を指して、かかる発言をしたのですか。
(4)以上について合理的な弁明ができない場合、上記発言を撤回し、謝罪することを求めます。
 本質問状到達の日から3週間以内に書面にて下記住所までご回答されるよう求めます。

私はこの学校のこともベルカンヌ校長のことも存じ上げないが、書かれていることはたいへん常識的なことだと思う。
高橋宏理事長の「バカでもチョンでも」という発言は、アメリカの大学の理事長が公式の場で「Nigga」とか「Jap」とか言った場合と問題の重大さでは変らない。
高橋という人が内面において差別意識の持ち主であることについては、余人は干渉すべくもないが、都庁でのなされた公式スピーチで隣国民を侮る発言をしたことについては当然政治責任が問われるべきだろう。
この「バカチョン」発言と、石原知事の暴言(このひとは暴言でメシを食っているようなところがあるから、こういう挑発的な発言も「失言」ではなく、政治的意図があって仕込んでいる可能性も吟味したほうがいいけど)は「偏狭なナショナリズム」という点で平仄が合っている。
日本がいい国だ、という感情を私は理解できる。
日本がもっといい国になってほしいと私も思っている。
「愛国的である」という点で私は高橋や石原に劣るものではない。
けれども、その感情を基礎づけるために、他国の国民やその文化を貶めることを私は少しも賢い選択だとは思わない。
他を侮ることでしか、自国の制度文物を誇ることができないほどに貧しい精神によって愛されても日本はすこしもよい国にはならない。
隣の人間がもっているものを汚したり、壊したりしても、自分のもちものがそれによって美しくなったり、豊かなものになったりするということはない。
この二人はたぶん首都大東京に今後「韓国・朝鮮および人フランス人」の留学生や教員を迎えるつもりはないのだろう。
招かれても、このような発言によって「受洗」の祝福を受けた大学にこれらの国の人は決して足を踏み入れようとはしないだろうけれど。
それ以外の国々の人々も、このような夜郎自大な差別意識が「日本以外のすべての外国」に向けられていることは、ただちに看取せられるであろう。
首都大東京のトップページ http に掲載されている西澤学長と石原知事のメッセージには、そう思って読むと「国際交流」とか「国際理解」とか「異文化コミュニケーション」といったキーワードがひとつも含まれていない。
西澤学長のメッセージには「世界」が1,「国際」が2(ただし、「国際連盟」「国際連合」という制度への言及として)。代りに「東京」が7,「日本」が6。
石原知事のメッセージには「国際」も「世界」も「交流」も「理解」も「相互」も含まれていない。
それどころか「学問」も「科学」も「学術」も含まれていない。
これは大学開学のメッセージとしてはきわめて異常な文章であるといわなければならない。
いったい、この大学は何を教育理念として掲げているのか、私にはよくわからない。
少なくとも国際社会に対して開かれた研究教育の場を形成するということが建学の理念には含まれていないことはたしかである。
そのようにして、まだ発足してない大学の国際性をあらかじめ損なうことによって、石原慎太郎は日本社会に何を贈ろうとしているのだろう。
私にはなにも想像できない。
たぶん、私の貧しい想像力が石原の奔放な作家的想像力に及ばないせいだろう。
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