『論座』からのご挨拶

2006-02-08 mercredi

『論座』の取材。
「書棚拝見」という企画で、書棚の一角を撮影し、それが誰の書棚であるかを推理しつつ頁をめくると本人のインタビュー・・・という構成である。
書棚というのはいわば「脳の中身」のようなものであるから、そこに並んでいる本を見れば「なるほど、この人はそういう人なのね」と得心がゆく。
だから、他人の家に通されて、どこにも一冊の本もないと不安になる。
別に「無教養な人間」と空間を共有することが不安なのではなく、どういう脳の中身なのか知るてがかりがない人間といっしょにいることの不安なのである。
むかしのヨーロッパの紳士たちは壁中書棚で埋め尽くされた書斎で接客した。
現在のパワフルなビジネスマンは人と会うときにその人の脳内生活を知る手がかりが絶無であるようなハイテックで無機的な空間を好んで選択する。
前者は脳内をオーバーレイトさせることで相手を圧倒しようとし、後者は脳内を見せないことで相手を不安にさせようとする。
原理はいっしょだが、現代人の方がたちが悪い。
少なくとも、前者は「どういう本を読んでいると他人から教養があり趣味がよい人間だと思ってもらえると信じているか」についての判断を公開しているからである。
「本棚の本は自由に入れ替えていただいていいです」と『論座』の記者さんは言う。
あわてて本を並べ替える。
あ、そうか。
この企画は「どういう本を並べているか」を見るのではなく、「どういう本を並べていると『ちゃんとした教養人に見える』と思っているか」を見る企画だったのである。
人の悪い企画である。
でも、私も人の悪さで『論座』編集部に負けるようなヤワな人間ではない。
「どういう本を並べるとちゃんとした教養人に見えると思っているかを暴露して笑いを取る企画そのものに対する批評性をそこに並べた本を通じて発信する」というくせ技を繰り出すことにする。
『論座』のこの頁を私の私的「伝言板」としてご利用させていただくことにする。
伝言板のメッセージは「やっほう」である。
「やっほう」とは誰に向けての挨拶なの何か?
それは『論座』五月号のグラビアページを御覧になるとわかります。
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