脳の迷宮バカハウス

2006-02-06 lundi

箱根の仙石原に通称「バカハウス」はある。
『バカの壁』400 万部の印税で養老孟司先生がお建てになったというまことしやかな噂があるが、真偽のほどは不明。
ゲストハウスの土台の白壁には南伸坊画伯描くところの「馬と鹿」の絵があり、それが「バカハウス」の語源という説もある。

これが名高いバカの壁!

二月の箱根の寒風が肌を刺す一日、その「バカハウス」において、新潮社の足立さんの仕切りによる養老先生との対談が挙行された。
養老先生との対談はこれで三回目。
最初は製薬会社の広報誌のための対談で、もう一昨年の話になる。
このときは3時間ほどお話しをさせていただいて、養老先生の博識と舌鋒の鋭さに圧倒されたことしか覚えていない。
その後、先日新潮社の『考える人』で養老先生が私の「私家版・ユダヤ文化論」を縦横に論じてくださったのを奇貨として、大阪の千里阪急ホテルでかなり腰をすえて「ユダヤ人」についてお話しをした。
そして今度は養老先生のご自宅におじゃまして、箱根の眺望を満喫しつつ、ご令嬢暁花さんのアテンドでおもてなしいただきながら、時間を気にせずにのんびり清談し、宴会温泉付きというゴージャスな対談の機会を与えていただいたのである。
「バカハウス」は養老先生が「虫の博物館」のためにつくられた建物であるので、研究室、標本庫、展示室など公共的な性質のスペースがメインになっている。
私邸という閉鎖性が感じられない、開放的な空間である。
家というのは(自動車と同じで)そのひとの理想我の表象であるとされている。
では、「バカハウス」は養老先生の理想我を空間的に表象したものかというと、そうとも言えない。
藤森照信さん設計のこの建物はさまざまな建築雑誌で取り上げられたからごらんになった方も少なくないであろう。
細かいところまで養老先生が指定されたのかと思ったら、実際には藤森さんが「養老先生はこういうのが好きだろう」と好き勝手に作ってしまったもののようである。
家の中心に展示室と会合のためのスペースが鎮座しているということは、「バカハウス」は他者の闖入を前提にして設計されているということである。
「この家は端から端まで一直線に見通せるところがいいんだ」と養老先生はちょっと自慢げにおっしゃっておられたが、実際にはそこここにあやしげなへこみや隠し扉が仕掛けてあり、開放性と隠秘性がナイスブレンドされている。
「自分に合う家」と思えるものを人に作ってもらって、そこに機嫌よく住んでいるというあたりに、「自我イメージ」というのは自分で決めるものではなくて、他人が勝手に「そう思う」ものであるという養老先生の持説そのものが具現化しているような気がする。
午後2時にスタートした対談はサバン症候群と角回の話から始まり、視覚系と聴覚系の話、牛肉と環境破壊の話、北海道とフィンランドの比較論、賤民と差別の話、全共闘と戦後の青空の話、無敵の話、文学とレストランの類縁性の話、ファンタジーと劇場政治とフレーム問題の話、ウソと音韻の話、イスラムと移民の話、ホームレスと原理主義の話、アングロサクソンの機能主義の話、官僚とロマンの話・・・と文字通り話頭は転々奇を究めて禿筆をもってその全体を要約することはかなわないのである。
途中で中華料理を食べ、かっこう時計と床暖房を修理し、ウイスキーとワインを飲み、露天風呂に浸かり、パレスホテルで爆睡し、ホテルのレストランで朝ごはんを食べ、箱根寿司の出前でお寿司を食べ、午後2時に「さすがに疲れたね」と養老先生が宣言して打ち上げ。
入浴と睡眠時間以外のほとんど、約16時間ほどしゃべり続けていたことになる。
対談の当事者がこういうことをいうのはマナー違反と知りつつ申し上げるが、こんな面白い話はめったに聞けるものではない。
私が読者ならこの対談本は(古いセクシスト的俚諺を借りて言えば)女房を質に置いても購入するであろうし、私が女性であれば「亭主を質に置いても」購入するであろう。
それくらいに面白い。
嘘だと思ったら買って読んでご自身で確認していただきたい(まだ出てないけど)。
私は養老先生から「ウチダさんは脳が丈夫だ」と太鼓判を押していただいたほどに蹴っても叩いても壊れない頑丈な脳を持っているのであるが、さすがにこれだけ集中的に情報入力があると、脳が「入力過剰」で筋肉痛を起こしてしまった。場所が場所だけにエアサロンパスを吹き付けるわけにもゆかずバンテリンを塗るわけにもゆかず、しかたがないので、ときどき深呼吸をして脳を冷やしているところである。
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