『ミュンヘン』を見に行く

2006-01-26 jeudi

授業が終わってから、眠り続けている。
朝起きて朝食を食べて、新聞を読んでいるうちに睡魔に襲われ、またベッドに潜り込む。昼頃起き出して、昼食を食べて、テレビを見ているうちに睡魔に襲われ、またベッドに潜り込む。夕方になって起き出して夕食の買い物をしてお風呂に入って夕食を食べて、お酒を飲んでいるうちに睡魔に襲われ・・・
起きるのがつらい。
全身の細胞から「疲労物質」がじゅるじゅるとしみ出しているのがわかる。
仕事がレギュラーにある期間は、疲労のシグナルは抑圧されている。
「疲れた疲れた」と愚痴っても、やらなければいけない仕事の量が減るわけではない。それなら、黙ってやる方がいい。
それが「もうすぐ休みだよ」というシグナルを感知すると、じゅるじゅるとしみ出してくるのである。
朝起きるときがいちばんぐったり疲れている。
身体が起きあがらない。
べりべりとベッドから引きはがすように起きる(ゴミ捨てがあるからね)。
93年に過労で倒れて3週間入院したことがあった。
そのときは卒業式まではなんとか持ったけれど、卒業式が済んだとたんに全身に発疹が出て、高熱を発し、ちょうど春休み分3週間だけ入院していた。
入院しているあいだはただひたすら眠っていた。
仕事をしすぎである。
『憲法本』を書き終えたと思ってほっとしていたら、『私家版・ユダヤ文化論』の校正に取りかかって下さいねと文春のO口さんからキックが入る。角川新書からはエッセイ集のゲラが届いて、「1月末までに『まえがき』と『あとがき』も書いて返送のこと」と厳命されている。3月末締め切りの岩波書店の身体論はまだほとんど手つかずである。
スケジュール表を見ると、春休みもいつのまにか「真っ赤」になっている。
ぜんぜん「春休み」じゃないねえ・・・
火曜日は一日寝ていたら、夕方ゼミの四回生たちが乱入。
来月のゼミ旅行の打ち合わせと称して宴会。
彼女たちの話題はひたすら恋愛と結婚についてである。
私とて求められれば、卑見を陳ぶるにやぶさかではない。
将来エナミくんが「ハワイでたこ焼き屋」をやる際には、みんなで食べに行きましょうと衆議一決して散会。

水曜日も一日寝ている(というか起きられない)。
夕方よろよろと起き出して、IT秘書(仕事を辞めたのですっかり幸福そうに太っている)のイワモトくんと厚生年金会館に『ミュンヘン』の試写会に行く。
越後屋さんがお出迎え下さり、「関係者入り口」から入って、「関係者席」に着く。
ヘビーな映画であった。
秘書は1972年のミュンヘンオリンピックのときにはまだ生まれていないので、「ブラック・セプテンバー」のことを知らなかった。
それは困った。
PFLPやバーダー=マインホフやジョルジュ・ハバシュやゴルダ・メイヤという名詞が何を意味しているのか知らないと、映画の登場人物たちが何の話をしているのか、よく(というかぜんぜん)わからない。
秘書は同世代の中では物知りのほうである。物知りでもこれくらいということは、二十代の一般観客はこの映画の中で口にされる固有名詞の90%くらいが理解不能ではないかと思う。
日本の若い観客(特に映画観客の大半を占める20代―30代女性)の政治史関連知識が非常に(悲劇的なまでに)浅いという現状を鑑みるに、この映画が日本で十分な興行的成功を収めることができるかどうか、スピルバーグの天才的な映像と作劇術をもってしても予測は困難なのである。
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