ゼミのみなさんへ業務連絡

2006-01-17 mardi

ゼミ生へのお知らせ

新三回生のみなさんへ:
内田ゼミ2006年度3回生のみなさまへ
ゼミの進め方についてHP上でご案内をしております。そちらを御覧ください。
それと、「名刺代わり」の春休みの宿題があります。
レポートタイトルは「これで日本は大丈夫?」(毎年同じ)
字数は2000字程度。
「こんなことで日本は大丈夫なのだろうか・・・」と思われるトピックをひとつ取り上げて、
(1)それが現にどのような「問題」を引き起こしているのかを示し、
(2)それがどのような「文脈」の中で生成してきたのかについて、歴史的な分析を加え
(3)これからどうなるのかについて「予測」を述べる/または、これから「私」はそれにどう取り組むつもりなのか「決意」を述べる
という「現在・過去・未来」形式でひとつお願い致します。
レポートはこのHPで一般公開(ただしハンドルネームで)しますので、名前考えてくださいね。
それから自己紹介の文章もお願いします。これは同期のゼミ生にのみネットで配信します。
いずれも3月末日までにメールで下記宛にお送りください。
t-uchida@mail.kobe-c.ac.jp
uchida@tatsuru.com
その他、どんなことでも質問はご遠慮なくメールでどうぞ。

新四回生のみなさんへ:
みなさんの春休みの課題は「卒論計画」です。
卒論というのはほとんどの人にとって生涯に書く最初で最後の「学術論文」です。
これまでに書いたどのようなものとも違います。
今まで皆さんが書いたのは「レポート」です。
「レポート」は指定された主題について「調べたこと」の報告書です。
平たく言えば、「私はこんなに一生懸命勉強しました」ということが査定者(先生)に理解できればいいわけです。
これまでその主題について論じられたことを適切に要約し、問題の所在を明らかにすれば、それで合格です。
別に自分のオリジナルな意見なんか必要ではありません。
「このような現代社会の危機的兆候を座視してよいのだろうか」とか「日本の将来を考えるといささか暗澹たる気持ちになるのである」とか、まあそんな「根岸の里の侘び住まい」みたいなフレーズを最後にちょこっと書けばオッケーと。
卒論はそうはゆきません。
卒論に必要なことは(これまでも何度も言ってきましたけれど)ふたつあります。

(1)リーダー・フレンドリーと
(2)オリジナリティ

です。
学術論文とレポートのいちばん大きな違い(つまり学術性ということですけれど)は何だと思いますか?
データの厳密さ?
論証の合理性?
知識の深さ?
うーん、そういうものも重要なファクターですけれど、それらはあくまで「いちばん大きな違い」の派生物にすぎません。
あのね、レポートにはなくてもよいけど、学術論文に必要なものというのは「読む人への愛」です。
レポートは「これだけ勉強しました」ということを教師にわからせればいいのです。
査定者である教師だけに向けて書けばよくて、教師以外の誰かが読むということは考慮する必要がありません。
学術論文は違います。
読者がいます。
というか、一人でも多くの読者に、少しでも長い期間にわたって「読み継がれる」ということ、それこそが学術論文の価値を構成するのです。
まだ見ぬ読者に向けて書くこと。
その心構えに学術性のアルファからオメガまでが含まれます。
きちんとしたデータを示すのも、典拠を明らかにするのも、合理的でていねいな論証をするのも、できるだけ多くの先行研究や関連研究に目配りするのも、すべて「読者のため」です。
どういう読者かというと、「あなたと同じ主題で卒業論文を書くつもりでいる、5年後、10年後の内田ゼミのゼミ生」をあなたの卒論のとりあえずの読者として想定してください。
そういうゼミ生が今のあなたがたと同じように、卒論を書くという状況になったときに、とりあえず「どんなもの」を読みたいと思いますか?
その主題を「山」だとすると、「登山のためのガイドマップ」のようなものですよね?
最寄り駅はどこで、どんな装備が必要で、山頂まではどれくらいかかって、どこに難所があって、どこに山小屋があって・・・
そういうことがきっちり書いてあって、そこに行ったことのない人でも、なんとなく「こういうふうにすれば山頂にたどりつけるのか・・・」がわかるし、山頂から見える景色もなんとなく想像ができて、読んでいるうちにわくわくするようなものが「よいガイドマップ」ですね。
そうでしょう?
卒論を書くときにあなたが読みたくなるのも、「そういう論文」のはずです。
この主題はどのような重要性を持つものか(山の高さとか谷の深さとか、そういうことですね)
この主題を考究するためには、どんな道筋をたどってすすめばよいか(「道筋」というのが同一主題についてこれまで蓄積されてきた「先行研究」のことです。山に登るときに、階段が切ってあったり、崖に鎖がかけてあったり、迷いそうなところには標識が立っていますね。あれです)
研究を始めるためにまず必要なデータや文献資料がきちんとリストアップしてあると、これから始める人はすごく助かりますね。
すぐれた学術論文というのは、「あなたがもしその問題に興味があるけれど、まだよくわかっていない」初学者だったときに「ぜひ読みたい」と思うし、「読んでよかった・・・」と思えるような論文のことです。
書いてくれたひとに「ありがとう」と言いたくなるような論文のことです。
贈与なんです。
学術性の本質は。
だから、自分のために研究する人(名誉や威信が欲しいとか出世したいとか頭がいいことを誇示したいとか金を儲けたいとか・・・)そういう動機で研究する人は、本質的な意味で学術的な人ではありません。
あなたがこれから書くのは「未来のあなた」(つまりその卒論を書き終えた1年後のあなた)から「現在のあなた」への贈り物になるようなものでなければならないのです。
「未来の自分」から「現在の自分」への贈り物になるようなテクストを書くこと。
それが学術的知性のもっとも生成的な働きです。
知性の本質はそういうふうに時間を「フライング」することだからです。
むずかしいことを言ってすみません。
というのが「原理的な話」です。
具体的に「卒論研究計画書」には次のようなことを書きます。

(1)研究テーマ
(2)なぜあなたはその研究テーマを選んだのか(個人的な理由があるはずですよね)
(3)そのテーマについて、これまでどんなものを読んだり調べたりしたことがあるか(これが「先行研究の吟味」という作業です)
(4)それらのものを読んだり聴いたりしてきて、「なんか、違う・・・」とか「意味わかんない」とか「もっと知りたい」思ったことがあるはずです(他人の書いたものを読んで、「まったくその通りだ!私も前からそう思っていたのだよ」と思ったときには、そのことについて研究しようという気にはなりません)。
(5)他の人の話を読んだり聴いたりして感じたこの「なんか足りない」「どこか違う」という感覚を時間をかけてていねいに観察してみてください。そこからオリジナルな研究が始まります。そこからしか始まりません。あらゆる科学的仮説は先行する理論ではうまく説明できない「反証事例」の発見から始まってかたちづくられるからです。まあ、そんなむずかしい話はいまのところは忘れてもいいです。
とりあえず、以上の5点に配慮して、2000字ほどのペーパーを書いてみてください。
先行研究としては少なくとも「二点」の文献資料(できればもっと多くの方がいいんですけど)を探し出してください。
参考のために、今年提出の卒論のうちで「できのいいもの」を添付ファイルで配信しますので、「読みたい」という人は内田までメールください。
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