「人のいい」内田さんたちの世代

2006-01-06 vendredi

毎日新聞の夕刊を拡げたら「団塊を知らない子供たちへ」と題して養老孟司先生と橋本治先生の両巨頭が対談をなされていた。
おお、濃いなあ・・・と企画者の胆力に感心しつつ読み進んでいたら、自分の名前が出てきて吃驚した。
お二人で全共闘世代の心的傾向について鋭い分析をされている中での言及である。

養老「団塊の世代は文化面で成熟してきましたよ。筒井清忠さんや内田樹さんら、やっと仕事がまとまってきた。橋本さんは彼らよりずっと早く世に出た例外ですが」
橋本「大学闘争の時に大学生だった世代と、内田さんみたいに高校生だった世代では全然違います。内田さんたちの世代は、人がいいから成熟に時間がかかるんでしょう。僕は東大でしたが、入試中止の翌年から、がらっと空気が変わった。その前の写真見ると、みんな老けてて先生と生徒の区別がないんですよ。でもその年から、明らかに生徒の顔したのが入ってきた。」

橋本さんと対談したときも、1968年入学と1970年入学の間には深いクレヴァスがあるのだよ・・・という話を聞いたことを思い出した。
たしかに私たちが「生徒の顔」をしていたこと、これはまことにご指摘の通りであるし、その後も「成熟に時間がかかった」こともご指摘のとおりである。
だが、果たしてその原因は「人がいい」という表現に尽くされるものであろうか。
むしろ橋本さんの論脈からは「経験の質が甘いから」というような言葉がふさわしいように思われる(実際にはそう発言されたのを「マイルドな表現」に訂正したのかもしれない)。
1948年生まれと1950年生まれのあいだには、ある種の世代論的落差があったのである。
だが、いかなる落差であろうか?
興味深い論件である。
ひとつ思いつくことがある。
私たちの世代の「子供顔」の理由のひとつはこのわずか二年のビハインドのせいで、私たちの世代が「原点的経験」を持つことができなかったということがあるような気がする。
68年の東大入学者は相対的にはまだ静穏なる政治的状況を保っていた時期に大学に入った。そして、東大医学部で始まった学内の抗争が全学に飛び火し、ある日駒場にも「機動隊導入」というかたちで「日常的なキャンパスライフ」が瓦解した・・・という原体験を有している。
彼らは不意に日常生活に闖入してきたその「出来事」に応接すべく、それぞれの固有の私的な立ち位置から政治闘争へのコミットメントのかたちを模索することになった。
結果的に、かなりの学生たちはレディメイドの政治言語を学習し、レディメイドの政治党派に組み込まれてゆくことになったわけだが、とりあえずは「固有名において政治にかかわる」ことがこの世代の方々には不可避の過程として経験せられたのである。
だが、70年入学の学生に「固有名」において語れる領域はもうほとんど残されていなかった。
私たちがどんな政治的ふるまいをしようとも、それらはすべてがすでに「商標登録済み」であり、私たちが口にする政治的言説のほとんどはすでに網羅的にカタログ化されていた。
だから、「あのー、オレが思うには・・・」と一言口を開いたとたんに、私たちは「なんだ、お前は**派なのか」というふうに(場合によってはその名前も知らない政治党派に)同定されるか、「そういう発言自体がお前のプチブル的本質を露呈させてんだよ」というふうに決めつけられて沈黙することを強いられるか、どちらかだったのである。
自分が「オリジナルなことば」を語っているつもりでいるときに、必ず「できあいの台詞」を語らされているということを思い知らされているうちに、私たちの顔つきは急速にねじれくたものになっていった。
そういうものである。
あまり若い人をそういう逃げ道のない仕方でいじめるものではない。
私たちの世代の中の比較的しぶとい諸君は(私もそのひとりだったが)、「原点的経験がないということ自体を原点的経験とする」というトリッキーな返し技に出た。
つまり、「フェイクとしての政治闘争」を「フェイクだからこそ大まじめにやって何が悪い」と口を尖らせてみたのである。
これがのちに「ポストモダン」と呼ばれることになる思想型の先駆的形態であったことを、私たちはまだ知らなかった。
例えば、私たちの二年前の世代にとって「この場に結集されたすべての学友諸君!」というのはその語義とおりの「呼びかけ」であった。
だが、1970年において、「この場に結集されたすべての学友諸君!」というのは、「私は私がその実効性を少しも信じていないし諸君がまじめなものとして取るはずもない空疎で過激な政治的常套句をこれから語るであろう」という「あらかじめそれが意味するところの取り消しを求める抹消符号」のようなものとして口にされ、耳に届いたのである。
私たちはそういうことばづかいにだけ選択的に熟達した。
不幸なことである。
まあ、昔話はよろしい。
その二年間のタイムラグのあいだに私たちの成熟を妨げたものがある。
私は橋本先生のこの診断に同意する。
その落差の深さは世代を隔てる年数にはかかわらない。
二年が半年でも、「そういうこと」は起こるし、二年が二十年でも、「そういうこと」が起こらないときには起こらない。
1968年から1970年のあいだに「何か」があった。
私は「遅れてきた」世代であるから、そこにたどりついた時には「もうなかったもの」を言葉にすることができない。
たしかなのは、その「うまくことばにすることができないもの」によって私たちの成熟への動機は深く損なわれたということである。
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