GHQと小番頭はん

2006-01-06 vendredi

1月4日は恒例の「親子水入らず温泉旅行」。母兄と三人で箱根湯本の河鹿荘へ。
「じゃあ、私たちは『水』だと、こう言いたいわけなのね」とお怒りになる近親者の方々が少なからずおられるわけであるが、こういうのはただの言葉のアヤなので気にされないように。
地上六階のベランダにある露天風呂に浸かって寒風吹きすさぶ峡谷を望む。
よい気分である。
われわれがふだん「温泉麻雀」で愛用している「よし行け」旅館が眼前に見下ろされる。
風呂で暖まってから、それぞれ静かに読書、原稿執筆などに励む。
毎日新聞社の「憲法本」に取りかかる。
『憲法がこのままで何か問題でも?』というタイトルを思いついたところで仕事の半分くらいが終わった気になる。
憲法と自衛隊の関係について、対日占領政策を起案実行したGHQの軍人の気持ちになって考察する。
私はわりとこの方面には詳しい。
私の姻戚に平野力三という政治家がいた。
片山哲内閣のときに農相を務めた社会党右派の重鎮である。
この人が公職追放になって、中央政界での政治生命を失った。
なぜある日GHQがこの古いタイプの社会主義者の追放を発令したのか。平野力三氏はその理由が知りたくて、アメリカの公文書館が1970年代に当時のGHQの内部資料を公開すると同時に自身に関するすべての書類を請求し、それを精査した。
その数百頁のドキュメントの精査と翻訳の作業に当たったのが、アーバン・トランスレーションを起業したばかりの私と石川茂樹くんである。
千鳥町の石川君の家に段ボール箱にいれた資料を持ち込んで、60年代ポップスを聴きながら(いつもこればっかだな)明けても暮れても私たちはGHQの内部文書を読み続けた。
3週間も経つと、私たちはケーディスとかウィロビーとかホイットニーという人々がそれぞれにどういうロジックをもって対立しているのかをサラリーマンが自分の会社の「専務派」と「常務派」の内部抗争について知る程度には知るようになった。
私たちは平野と社会党右派内で熾烈なヘゲモニー争いをしていた西尾末広・曽根益からGHQに提出された平野の戦中の天皇主義的言動を密告する資料を発見して、公職追放の直接の原因はこの密告であるというレポートをまとめた。
平野力三氏はそのあと、この資料に基づいて当時のジミー・カーターアメリカ大統領に「名誉回復」と「二億円の賠償請求」の訴訟を起こした。
賠償請求は却下されたが、大統領から「遺憾のメッセージ」だけが届いたそうである。
そういうわけで私はGHQの政治政策の全体については教科書的知識以上のものを持たないけれど、彼らがどういう「語法」で日本占領政策について語っていたのかは飽きるほど読んだので、よく知っているのである。
どこの世界でも役人たちというのは、「一般人には意味がわからない」ことはいくらでも書くが、「上司が読んでも意味がわからない」ようなことは書かない(そんなことをしたら、出世できない)。
だから、下僚から上司に提出されたレポートを読むのが、組織で何が行われているのかを知るための捷径である。
世に謀略とか陰謀と言われるようなものの過半は「事情を知らない人間にはそう見える」だけであって、実行者の視点に即して見れば、きわめて合理的かつビジネスライクに遂行されているものなのである。
「アメリカの占領者たちはできるだけ合理的・効率的に占領政策を遂行しようとしていた」というのが数百頁のGHQ内部資料を読んで得た印象である。
その印象は今でも変わらない。
憲法九条と自衛隊はいずれもGHQが日本におしつけたものである。
この二つが同時に制度化されたということは、彼らにはそれが二つながら「日本を効果的に占領する」ための政策の合理的な帰結だと思われたからである。
日本人から見ると「矛盾」であり「ねじれ」であり「整合性がない」と言われるこの二つの政治制度は、占領軍から見ればきわめて合理的でコヒーレントな「日本占領政策」である。
九条は「日本を軍事的に無害化すること」を目指している。
直近の戦争で30万人の死者を出した後にアメリカがまず日本を弱体化することを最優先したことは当然である。
自衛隊はその後、いったん武装解除した日本をもう一度限定的な軍事目的のために「従属的に」頤使するために再建された。
ソ連中国との臨戦態勢にあったアメリカにとっては当然の選択である。
日本が「もう無害」になったと判定されたので、「限定的な軍備を限定的に利用すること」が許可されたのである。
この二つはどう考えても「ワンセット」である。
もし、アメリカ軍の後方支援のみという自衛の「限定」をはずした「軍事的なフリーハンド」「軍事的な独立」をアメリカが日本に許す日が来るとしたら、それは「日本がアメリカにとって100%無害な国」、アメリカに決して逆らうことのない「精神の属国」になったということを証明してみせたときか、日米安保条約を廃棄して「ありうべき対米戦争」の準備を始める決意を日本国民がかためたときか、いずれかしかない。
そして、今日「九条の廃棄」を呼号している人々が選ぼうとしているのは、「属国化」による「のれん分け」の道なのである。
私は「番頭であること」それ自体は恥じるべきことではないと思う。
貧乏育ちなんだから仕方がない。
ただ、丁稚手代とこつこつつとめあげて、ご褒美に「のれん分け」してもらって小商いを始めた「小番頭はん」が昔から大店の旦那だったような顔をして桜宮あたりに屋形船を出したり浄瑠璃をうなったりしたがるのはとても恥ずかしいと思うのである。
想像的に「旦那」の身になって「番頭」の行状を眺めてみると、ものすごく「恥ずかしい」のである。
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