ことしもいつものお正月

2006-01-04 mercredi

1日の午後から神奈川の実家に戻る。
新幹線の中で「甲野善紀先生との対談本」の校正。
校正といっても、安藤さんが「このへん書き足してください」とあちこち朱を入れているので、かなりの部分は「書き下ろし」である。
「対談本」は往復書簡形式でなされた部分と、実際に二度対談した部分とからなっている。
時間的にも最初のものはもう二年以上前に書かれているので、内容的に「いつの話?」というようなトピックも散見されるし、身体論についての知見も、今の私の考えと二年前ではずいぶん違っている。
そのへんを少し調整しながら添削をする。
年末締め切りだったのだが、泣きついて「新年仕事始めまで」に締め切りを延ばしてもらったのである。
安藤さんの仕事始めって、いつからだか聞いていなかったので、とりあえず1月4日ということにしておくのである。

2日はるんちゃんと会ってお年玉を上げて、自由が丘ハイアニス・ポートでお茶をしつつ、「読むべき漫画」や「今後のお仕事の方向性」などについてお聞きする。
「ボーイフレンドいるの?」という私の問いかけに、るんちゃんは力強く「ともだちならいくらでもいるけどさ」とお答えになる。
「ステディは?」と訊くと、顔をこちらにまっすぐ向けて「お父さん、いまどきの私と同じ年くらいの男の子って、どれくらい幼稚だか知ってる?」と聞きかえされてしまった。
はあ、そうなんですか。
「こっちだって自分のことで精一杯なのに、なんで男の子のエゴをなでてあげなくちゃいけないのよ。男の子が望むことって、ちやほや甘やかしてえばらせてくれっていうだけなんだよ。二人分の人生抱え込むほど体力ないよ」
は、そうですか。そうですよね。まったく最近のオトコどもときたらねえ。
しかし、考えてみるとそういう男の子たちの親というのはまさしく私と同世代の皆さんなのであり、私が仮に男児を得ていた場合には、そのような脆弱なる青年を育て上げてしまった可能性もにわかには払拭しがたいのである。
先般京大で集中講義をしたときに言葉を交わした青年たちはいずれも好感のもてる方々であったけれど、総じて「繊細でやさしい少年たち」という印象が残った。
私やヒラカワくんやヤマモトコージ画伯が同年齢のときに「やさしい少年」という印象を五十代の大学教員に与えた可能性は多めに見積もってもゼロである。
それだけ青年たちのありようが変わったということなのであろう。
渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)をスーさんと平川くんに同時的に推奨されたので、新幹線の中で読んでいるのであるが、渡辺さんが言うとおりなら、明治初年以来日本人は劇的に変わった。
その「ろくでもない変わり方」のあるいは私たちの世代が頂点であって、私たち以後の「やさしい少年たち」はむしろオールコックやモースが描いた古きよき日本人の原型に帰還しつつあるのでは・・・という気がしなくもない。
人口も減っていることだし、あるいはそういうふうに再び「妖精の国(エルフランド)」に回帰することが、日本にとっての幸福な選択ではないのであろうか。
るんちゃんと別れてから平川くんと年賀のご挨拶並びに新春放談。
3時間半にわたって「弁士注意!」の暴走的放談。
この話をそのまま録音して本にすればよかった。
毎日新聞社から今春『憲法本』を出す。
執筆メンバーは平川克美、小田嶋隆、町山智浩、そして私の四人である。
まことにハードにしてコアな執筆陣である。
どうしてこのメンツが毎日新聞社の企画会議を通ったのかよくわからない。
16 日が締め切りなので、これから二週間で私の担当分 50 枚を必死に書かねばならない。
平川君はもう書き終わってしまったそうである。いいなあ。

三日は恒例の多田先生宅へのお年賀のご挨拶。
東大気錬会の諸君とご一緒である。
わがほうからはかなぴょんとウッキーと白川主将。
多田先生にご挨拶して、キャンティが乾杯してから、新婚の工藤くん、内古閑のぶちゃん、おひさしぶりのK野くん、ジェルで髪の毛つんつんの伊藤主将らと歓談。
多田先生の前の席に腰をすえてお話を伺う。
多田先生のもともとの出身は対馬である。
秀吉の朝鮮出兵での伝説的武功で知られる多田監物は先生の祖先である。
維新まで多田家は対馬藩主宗家の家老職だった。
明珍の甲冑とか、三条の小鍛冶宗近の剣などは幕末維新の動乱で散逸焼失したそうであるが、武人の血統は脈々と多田先生のうちに伏流しているのである。
ワインが回ってふらふらしてきたので、日が暮れるころにお暇する。
実家に戻り、母の話のお相手をしているうちに強烈な睡魔に襲われ、8 時半に就寝。そのまま爆睡して、目が醒めたら朝の 7 時。10 時間半眠っていた計算になる。
年末からの疲れがどっと出たのであろう。
今日はこれから例年の通り、箱根湯本で母、兄と三人でのんびり湯治である。
まことにのどかでルーティーンなお正月であった。
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