京阪電車のこと

2005-12-22 jeudi

集中講義二日目。
ふだん目覚ましで起きるという習慣がないので、りりりという音を聴いて目が覚めるとなんだか理不尽な目にあわされているような気になる。
9時15分の新快速で京都へ。
地下鉄に乗り換えて今出川。そこからタクシーで800円で京大である。
京大というのは「最寄り駅」がない不便なキャンパスなのである。
京阪の出町柳という駅があるけれど、ずいぶん遠い。
それに私は京阪電車という鉄道には「トラウマ」があるので、できることなら乗りたくないのである。
1969年に私は京阪沿線のある駅(名前を忘れた)に住んでいる従兄のつぐちゃんの下宿に四日ほど滞在したことがある。
京大入試を受けるためである。
どういうわけかホテル代を節約するために従兄の下宿(かなり狭いところだったけれど)に転がり込んだのである。
前日に新井啓右くん、吉田城くん(ふたりとも鬼籍に入ってしまった)といっしょに入試会場の下見に行った。
火炎瓶が飛び交う京大キャンパスで入試ができず、たしか京都予備校というところが私たちに振り当てられた試験会場であった。
入試の初日、大雪が降った。
京阪の駅に行ったが、電車が来ない。
ポイント凍結で止まってしまったのである。
京阪電車はそのまま1時間半ほど来なかった。
ようやく来た電車は300%くらいの詰め込み状態でのろのろと京都に向かった。
京都につく前に試験開始時間は過ぎてしまった。
京都駅からバスに乗るのだが、そのバスも雪で遅れて、会場についたのは試験開始を1時間半ほど過ぎたころだった。
私は全身ずぶぬれのまま吹きさらしの廊下で一般受験者の半分ほどの時間で試験を受けさせられた。
寒くて、かじかんだ指にようやく血が回る頃に試験終了のチャイムが鳴った。
もちろん試験には落ちた。
あの日、京阪電車のポイントが凍結していなければ私は69年に京大法学部に入学していた可能性が高い。
そのあとの人生は今とはまったく違ったものになっていただろう。
そう思うと、不思議な気がするが、ポイント凍結が人生の岐路、というのがなんとなく気持ちが片づかない。
というわけで、それ以後、京阪電車には近づかないようにしているのである。
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