甲野先生をお迎えして/「エ」音の話

2005-12-20 mardi

江さんのことを書いたら、すぐに電話がかかってきた。
「センセ、あんなことブログに書かれたら困ります。もう朝からじゃんじゃん電話が鳴りっぱなしで・・・」
これは失礼。
ただちにIT秘書室がテクニカルに処理して痕跡を消されたようであるので、いったい私が何を書いたのか、昨日読まなかったひとには秘密なのである。

土曜日は合気道部の稽古納めのあと、甲野善紀先生をお迎えしてのひさしぶりの武術講習会。
ミリアム館をお借りして、合気道の技を中心に、杖、剣、介護などさまざまな技法を実地教習していただく。
例によって、一人一人に技をかける甲野先生のあとを全員がぞろぞろと付いて歩き、ときどき列からはぐれる学生たちは守さんが引き取ってこちらはこちらで站椿をご教示くださるという、「バザール方式」の稽古である。
前回の『中央公論』の対談のときも終わったあとにも少しお手合わせして頂いたが、なにせ名越先生のクリニックの居間であるから、あまり大がかりなことはできない。
今回は空間が広いし、ちゃんと道衣も着けているので、いろいろな技で投げたり、極めたり、固めたり、あれこれ技をかけて頂けた。
「両足の裏が水平離陸し、足が浮く分体が落下するその力を利用して・・・」というのがこのところの甲野先生の術理的な主題である。
「空中で仕事をすませる」というのは武術ではよく言われることだが、そのときに「身体の中でいくつかの定滑車、動滑車を動かす」という甲野先生がときどき使われる比喩の意味がよくわからない。
いや、意味はわかるのだが、どうやって身体の中に滑車を作ってそれを操作するのか、それがわからない。
とはいえ、介護の技法は習ってすぐに出来る人が現にいるわけであるから、武術的な展開もできないはずはないのである。
大きな宿題を頂いたので、しばらくは頭の中がそれで一杯である。
今回の稽古納めにはひさしぶりに平尾剛史さんが見えた。
タックルの処理やハンドオフやラックでの「平蜘蛛返し」や大腰筋を使ったサイドステップなど甲野先生がラグビー応用編をいろいろとご教示される。
体重85キロ平尾さんは甲野先生に浮かされ、抜かれ、崩れるたびに「おおお」と喜びの笑顔で応じている。
ぜひ甲野先生の術理をラグビーの練習に取り入れた平尾さんの大活躍で、来期の神鋼スティーラーズは捲土重来を果たして頂きたいものである。
あっというまに3時間が経ち、そのままわが家に結集して懇親会兼合気道納会へ。
ぞくぞく人々が集まり、最終的に39名。またも新記録更新である(これまでの最高記録は37人)。
床を踏みぬかないようにご注意申し上げる。
今回の納会の持ち寄り一品料理のテーマは「B級グルメ」。
私は例によって「おでん」と「鳥釜飯」。
飯田先生の「味噌煮込み」とPちゃん作の「水菜のスパゲッティ」がたいへん好評であった。
二間に39名も詰め込むと、もう満員電車の中で宴会をしているようなものである。
ほとんどの人は立ったまま飲み食いし、その間で甲野先生がどんどん技をかけて人を転がしたり、真剣を抜いて振り回したりしている。
もうなにがなんだかわからないまま爆笑のうちに今年の合気道イベントも大団円を迎えることになった。
一年間みなさんご苦労さまでした。私はたいへん楽しかったです。
また来年も老生と遊んでくださいね。
お忙しい中本学までお越し下さった甲野先生、遠路はるばる丸亀からうどんと意拳の極意メモも届けてくださった守さんにもお礼申し上げます。
どうぞ来年もよろしくお願い致します。

ひさしぶりの何もない日曜なのでだらだらしていたら、ドクターから電話がかかってきて、「先生、今日はお稽古の日ですよ!」と連絡を頂く。
おお、忘れていたぜ。
ぱたぱたと下川先生のところへ。
三週間ぶりくらいのお稽古である。
さっそく『弱法師』の謡。
先生に「たいへんよくなりました」とおほめ頂く。
毎日行き帰りの車の中でばっちりおさらいしているのである。
無本で謡えるようになって、節が入って、謡は「それから」ということが稽古しているとだんだんわかってくる。
謡で好まれる母音は圧倒的に「オ」と「ウ」の音である。それから「ア」。「イ」の音をひっぱって聴かせるところは少なく、「エ」はもっとも少ない。
つまり、「オ」と「ウ」の音はそれだけ鼻骨や頭骨などとの振動の親和性が高いということである。
逆に「エ」の音が避けられるのは、音韻的におそらく「不安」だからであろう。
古語で「エ」の母音で終わるのは「なりて」とか「候ひて」とかいう非終止形であるから、どうも「すわり」が悪い。
試みに『弱法師』シテ謡の冒頭部分は。

「出入りの月を見ざれば明け暮れの」(オ)
「夜の境をえぞ知らぬ」(ウ)
「難波の海の底ひなく」(ウ)
「深き思ひを人や知る」(ウ)
という非常にゆったりとした微妙な旋律である。
それがサシになると、あきらかに母音構成が変わる。
「それ鴛鴦の衾の下には」(ア)
「立ち去る思ひを悲しみ」(イ)
「比目の枕の上には」(ア)
「波を隔つる憂ひあり」(イ)
「況や心あり顔なる」(ウ)
「人間有為の身となりて」(エ)
「憂き年月の流れては」(ア)
「妹背の山の中に落つる」(ウ)
「吉野の川のよしや世と」(オ)
「思ひも果てぬ心かな」(ア)
「浅ましや前世に誰をか厭ひけん」(ン)
「今また人の讒言により」(イ)
「不孝の罪に沈む故」(エ)
「思ひの涙かき曇り」(イ)
「盲目とさへなり果てて」(エ)
「生をもかへぬこの世より」(イ)
「中有の道に迷ふなり」(イ)

17ある「聴かせる」母音の中に「オ」がひとつしかない。
「イ」が6回。ほかではほとんど出ない「エ」が3回。
このサシの部分は詞章は説明的で、音楽的にもやや冗長である。
ここは「きかせどころ」ではなく、どちらかというと話を「先へ進める」ための「つなぎ」の場である。
そのような物語構成上、詞章の「運び」を速めるために、「イ」や「エ」のような「非終止的」な音韻をたたみ込むように用いるのではないかと推察せられるのである。
「イ」や「エ」の母音が非終止的であるせいで、センテンスを「宙づり」にする音韻的効果を持つことは経験的にはたしかなことである。
この数年、若いスポーツ選手などがインタビューを受けるときに、質問に対して必ず最初に「そうですねー」と「エ」音をひっぱって聴取者を「宙づり」にするところから始めるという話型を採用していることには多くの人が気づかれていると思う。
あるいは、「・・・だしい」「・・・ですしい」というふうに「イ」音をセンテンスの最後に持ってきて、「オレの話はまだ終わってないぞ」という意思表示をする発語の習慣も若い人にはひろく行われている。
あるいはもう中高年層さえも使い出した、あの「半疑問文」(名詞止めの最後の音をはねあげる)も聴取者を「宙づり」にする効果を狙っている点では同様である。
これらの非終止形の連打がもたらす効果はとりあえず、自分の次のセンテンスが始まるまで、対話の相手を「沈黙」状態にとどめ置くことにある。
つまり、好んで非終止的音韻をセンテンスの最後に持ってくるのは、できるだけ発語権を独占して、相手に口をはさむ機会を与えないという、自己中心的な発話者に典型的に見られる習慣なのである。
以前読んだ本の中で、小学校の先生たちが、教室の中で生徒たちの発語に「エ」音が増えてくるとのは学級崩壊の徴候だという指摘をされていた。
「うるせー」、「うぜー」、「だせー」、「ちげー」、「くせー」・・・といった「エ」の長音が教室に蔓延するようになったら、そこではもう授業は成立しないだそうである。
これは「エ」音が「対話の拒絶」の音韻的なシグナルであると考えれば理解できる話である。
日本語の音韻のメッセージ性について、または脳の音韻受容部位と情緒を司る部位の連関について研究している方がいたら、ぜひご教示願いたいと思う。
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