そして東京から

2005-12-12 lundi

予定通り、新幹線車中で論文一本(10枚)を書き上げ、引き続き二本目を書いているところで東京着。
中央線で新宿に出て、バスで抜弁天の合気会本部道場へ。
今年最後の多田先生のお稽古に出る。
新婚のK藤くんにご挨拶。先日、お祝いにワイングラスをお贈りしたので、そのお礼の口上を受ける。まことに礼儀正しい青年である。
二時間半ほど久しぶりにころころと受け身を取る。
太刀取りの途中で、早引けのため多田先生においとまのご挨拶をする。
今年も一年間お世話になりました。先生もよいお年をお迎えください。
東京まで来てよかった。

抜弁天からタクシーを飛ばして池袋へ。
会場に行くと「元・美人聴講生」のE田くんが来ているので久闊を叙す。彼女はかつてこの表記を「元美人・聴講生」と分節を誤って読んでたいへん傷つかれたらしい。すまないことをした。
本日の主催者の角川書店とリブロのお歴々とご挨拶。
そこに春日先生が見えて、一年ぶりのご挨拶。わいわい話し込んでいるうちに開会の時間。
190名のお客さんで会場はびっしり。
話すことは別に決めていなかったのだけれども、最近の一連の犯罪と解離症状の話題を皮切りに70分間話し続ける。
どれほど破綻した家庭であれ、それによってバランスが取れて、バランスシート上は「利益」が「不利益」を上回っている場合、これを「異常」とみなすことが妥当であるかどうかという根源的な問題に突き当たる。
一家庭だけで「収支の決算」をして、「利益」を出すという発想そのものが病んでいるのではないか・・・という暫定的な了解に達したところで時間切れ。
岸田秀は個人の心理と集団の心理は同じ力学が働いているという「唯幻論」によって国家論に新しい切り口を示した。
それが「あり」だとすれば、個人の場合と同じように「家族の人格」「家族の心理」「家族の抑圧」「家族の欲望」というものを想定することはできないのだろうか。
その場合、家族の健全は、個人や国家の場合と同じように、「『うちとは違うよその家族』たちとどのようにコミュニケーションを成り立たせうるか」の能力に基づいて考量しうることになる。
しかし、家族を一個の人格とみなして、それが他の家族と取り結ぶコミュニケーションの能力や失調に基づいて家族の健全度や開放性を査定できると論じた社会理論を私は寡聞にして知らない。
おそらく家族集団ごとにひとつの「家的人格」というものを措定するという発想そのものが「家父長的イデオロギー」として退けられて久しいからであろう。
だが、現在「階層化」というかたちで進行しているのは、そのような趨勢に冷水を浴びせるような事態である。
この社会で最上層を形成し、権力や財貨や情報を占有しつつあるのは、言われるような自己決定・自己責任を全うしている単体の個ではなく、門閥や閨閥に厳重に絡め取られたせいで、成員たちは職業選択や政治意識について「フリーハンド」を封じられている代償として、ある種の特権を享受している「集団」である。
その一方で、あらゆるレベルの中間共同体から離脱して砂粒化した個体たちは構造的に「下層化」している。
生物として考えた場合、集団を形成しているものと単体でリスク社会に立ち向かっているものではどちらが有利か誰にでもわかる。
リスク社会において高い確率で生き延びられるのは彼の存在自体が「リスク」であるところの例外的強者と「リスクヘッジ」してくれる仲間を持っている弱者たちだけである。
それはサバンナにおけるライオンやトムソンガゼルの生き方を見ればわかることだ。
しかし、今の日本社会において支配的な社会理論はトムソンガゼルに向かって「群れを離れてひとりで生きること」をつよく勧奨している。
これがライオンの「思うつぼ」であることにどうして誰も気づかないのか、それが私には不思議である。
もし、弱者が社会的リソースの「奪還」や公平な「分配」を望むなら、いまのところ最も堅実な方法は「健全な家庭を持ち、家族メンバーの手厚い支援を受ける」ことである。
家父長的イデオロギーを「政治的正しさ」の名において廃棄したら、家父長的イデオロギーをいまだ墨守している「反動的」少数者に社会的リソースが集中してしまった・・・という「政治的に正しくない」現実をどう理解すればよろしいのであろうか。
今後もさらに親族や地縁共同体や「親方日の丸」的企業などの中間的共同体の「構造改革的解体を進め、自己決定し自己責任を取る単体の個がリスク社会の淘汰圧に向き合って「負け」続けるオプションをこれから先も最良のものとして推奨すべきなのであろうか。
苅谷剛彦さんが指摘しているように「自己決定し自己責任を取る主体」を組織的に作り出すことを推奨したのは小渕内閣の諮問機関であるし、「自分探しの旅」ということを言い出したのは中教審である。
つまり、社会の「上層部」の方々が下々のトムソンガゼル的民草にむかって「ひとりで生きろ」ということを強くアナウンスしたわけである。
その結果はご案内の通りである。
というような話に転がりそうだったのであるが、その前に時間切れ。
対談のあと、角川書店、文芸春秋、講談社の「三社連合」のご接待で冷たいビールと揚げ物で爆笑打ち上げ大会。
各社の皆さま、ご馳走さまでした。
学士会館に投宿して爆睡。
朝8時に起きてすぐに東京駅へ。
帰りの新幹線の中で予定通り二本目の論文にとりかかるが、車両があまりに揺れるのでパソコンのキーがうまく打てない。
断念して不貞寝。
昼前に大阪に着き、家に戻って着替えて大学へ。
会議がひとつ、授業がふたつ、それからまた会議。
へろへろになって帰宅。
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