当世女子学生気質と落語のはなし

2005-12-03 samedi

木曜は授業二つのあと2時間ゼミ面接。
これで累計48名と面接したことになる。まだあと三回ほどある。
ここ数年、毎年70-80名を面接する。
総文の一学年がだいたい240名であるから、約30%の学生に会って話を聴くことになる。
ゼミに受け容れる学生を選別するということ以上に、私にとってはこれは「現代女子書生気質」の経年変化の定点観測の機会なのである。
今年の発見は女学院生の「原点回帰」傾向が兆してきたことである。
私が15年前に赴任したころの神戸女学院の学生は当今の学生とだいぶ違っていた。
利発であり、快活であり、鋭い批評性をほんわりしたディセンシーでくるんだような、なかなか一夕一朝で形成されるようなものではない独特の風儀が共有されていた。
総じて、印象が明るかった。
それが一変したのはやはり震災以後である。
被災地の大学を受験生たちが忌避したという事情もあるし、復興原資を捻出するために、苦肉の策で入学者数をふやし、教育サービスの質を低下させたという大学側の失敗もある。
結果的には単に入学者の偏差値が下がったということだけではない。
大学そのものが余裕を失い、笑顔も減り、キャンパス全体が何となくぎすぎすして「暗い」ものになった。
その時期に女学院でキャンパスライフを送った諸君には申し訳ないけど、あれはね、「暗い時代」だったんだよ。
震災から10年経って、ようやく(ほんとうに「ようやく」という気がする)、大学に震災前のような「のんびり」した感じが少しずつ戻ってきた。
それと同時に学生たちがだんだん「昔みたい」になってきた。
これは私ひとりの印象ではなく、盟友ナバちゃんも昨日立ち話で「面接の学生どう? ずいぶん変わったと思わない?」と訊いたら、はげしくうなずいていたから、それなりに一般的な傾向だと思われる。
学生たちが「明るく」なってきた。
それが面接していてよくわかる。
もちろんいつの代にも頭の回転の速い、センスのよい子たちはいたけれど、今年はそれにプラスして「明るい」感じがしてきた。
ポストモダン期の知性というのはひさしく攻撃的なスタイルのものであった。
「せせら笑う」「切り捨てる」「見下す」「なじる」というような構えが批評的なポーズであり、本学の学生たちもおそらくはその影響を受けて、頭のよい学生はしばしば痛烈な皮肉屋であった。
そういうタイプの「攻撃性」が薄れてきたように思われる。
グローバリゼーションに煽られて「リスク社会」の到来を諸手を挙げて歓迎した人々が、「小泉構造改革」の行く先の索漠たる風景に気づいたこととも関係があるのかも知れない。
「自分探し」とか「自己決定・自己責任」とか「自分らしく生きる」とかいう頭の悪いワーディングに辟易としてきたからかも知れない。
とにかく、「耳を傾ける」「受け容れる」「敬意を払う」「節度をたもつ」というようなふるまいに知的リソースを優先的に備給する学生たちがちらほらと出現してきたのである。
これは驚くべきことである。
というのは、そのような態度を知的にすぐれたものとみなす習慣は「まだ」本邦に根づいてはいないからである。
たしかにそういうことの大切さに気づいた人間はしだいに増えてきてはいる。
でも、それはまだ日本社会の総意というにはほど遠い。
そういう知的な地殻変動は、誰も気がつかないうちに、若い世代において徴候化する。
「若い」ということは言い換えるとその社会の歪みやねじれの被害をいちばんもろに「かぶる」ということだからである。
感受性と脆弱性は裏表である。
先行世代の「真似」をしているだけでは自分の身を守ることはできない。
それに気づいた少年少女は本能的に生き延びるために有利なしかたを探り当てようとする。
「他者へのディセンシー」は生存戦略上もっともすぐれたもののひとつである。
そして、かつての神戸女学院はひさしく「愛神愛隣」というキリスト教的理念と阪神間ほんわかブルジョワお嬢さん気質の不思議なアマルガムとして、この「ディセントな批評性」を校風として備えていたのである。
その有効性についての覚知が本学学生のうちに再び兆してきたことを私はうれしく思うのである。

ゼミ面接のあと、朝カルにて講演。
一年ぶり。
100名ほどのお客さんの前で『芝浜』を超スピードで一席。
いくつか定型化した「小咄」があり、それを七つ八つつなげると90分ほどの講演になる。
便利なものである。
講演のあと釈先生と釈先生の「おとも」のタニグチさんと、うちの「おとも」のウッキーとプチ打ち上げ。
四月から朝カルで釈先生とふたりで三回にわたって「現代霊性論」をやることになる。
大学でやっている講義の続きである。
掛け合い漫才の宗教談義だから、まことにお気楽である。
楽しみだ。
釈先生は「知らないことがない」くらいどんなことにも詳しい人であるが、落語にも造詣が深い。
落語の話をしているうちに、私自身、幼児期の「落語記憶」がMCに深い影響を与えていることを自覚する。
私の講演は実は「落語」的なのである。
ひとりの話者であるにもかかわらず、そこに「複数の人間」が登場してあれこれしゃべるからである。
落語というのがなぜすぐれた話芸であるかについて釈先生と話し込む。
落語とは「かみしも」に首を振る芸である。
それは言い換えれば「自分の中に複数の人間を抱え込む」ことによって成立する芸である。
首を左右にふるだけのきっかけで、与太郎を演じ、大家さんを演じ、熊さんを演じ、花魁を演じ、幼児を演じる。
「わがうちなる他者」へのささやかな敬意とあふれるばかりの好奇心を持たないものはこのような芸を身につけることができない。
私が影響を受けた芸人は指折り数えてみると、林屋三平、柳家金語楼、柳亭痴楽。
中学生くらいまで落語を聴いていれば志ん生とか文楽とか円生とかへ行ったかもしれないけれど、子どもには古典落語の「古い日本語」の意味がわからなかった。
三平、金語楼、痴楽は小学生にもわかる落語をやっていたのである。
『こんにゃく問答』の仏教的=ラカン的解釈に熱中していたら、ウッキーが「『こんにゃく問答』って何ですか?」と訊くので、釈先生と思わず顔を見合わせる。
そうか。
現代日本人の批評性の低下の一因は落語を聴く機会の減少にあったのか・・・
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