養老先生との一夕

2005-12-01 jeudi

今年一番忙しい一週間の三日目。
昼にH水社のファンキーS山君が来る。
S山君は「七色の髪」をしているとるんちゃんから事前の連絡があったが、ほんとうに七色だったのでびっくり。
関学に営業にきたついでに私のところに遊びに来たのである。
1時間ほど日本におけるフランス語需要の衰退とH水社の今後の出版戦略について意見交換。
出版企画もそれとなく持ち込まれるが、聞こえないふりをしてスルー。
午後1時から5時まで4時間ぶっ続けでゼミ面接26名。
さすがに気息奄々となる。
居眠りこきながら千里中央へ。
阪急ホテルで養老孟司先生との対談。
『考える人』という新潮社の雑誌のための対談である。
私の『私家版・ユダヤ文化論』を養老先生がおもしろいと評されたのをA立さんが聞きとがめて、「では、ふたりにユダヤ論を語ってもらおう」という、「文春の褌で新潮が相撲を取る」という展開になったのである。
A立さんは養老先生の担当であり、私と名越先生の対談本の担当であり、さらに甲野先生の担当でもあるという、天性のコーディネイターである。
司会は『考える人』の編集長のM家さん。
養老先生が少し遅れて見えるまでにビールを二杯、ワイン二杯を飲んでしまったので、対談が始まったときにはすでに「微醺を帯びる」というエリアから「酩酊する」エリアに以降しつつあり、しらふであれば養老先生の片言隻句に「は」と姿勢を正してお答えするであろう私も「んですよねー、センセー、へへへ」というような距離感に欠けた対応に終始することになった。
養老先生は世人の心胆を寒からしめる非人情なる毒舌の大家である。
英知においては千里の径庭があるが、こと非人情と毒舌においてはウチダもまた先生と風儀をともにするものであるので、先生の舌鋒が非人間的に先鋭化するほどに「熱い風呂」に浸かる江戸っ子のように快感肌に粟を生じるのである。
中華料理で始まった対談はその後ラウンジに移り、話題はユダヤから日本人論、死体と文脈、ヤクザの対人戦略、『総長賭博』と忠臣蔵、中国語における冠詞と助詞の不在の文明的影響、親孝行によるトラウマ退治、『足長おじさん』の威嚇行動・・・と転々として奇を究め、禿筆をもって尽し難いのである。
あっというまに時間が経ち、終電ぎりぎりのJRに飛び乗るために千里中央を後にする。
またこの続きをやりましょう、ということで次回は箱根と話が決まる。
箱根には洛陽の紙価を高らしめたかの『バカの壁』の収益で新潮社が建てた山荘(別名「バカハウス」)があり、これはことの理路からして養老先生からの贈り物のようなものである。ぜひ拝見したいものである。
と書いたあとに、新潮社のA立さんから訂正のメールがあったので、謹んで訂正させていただくのである。

「さて、ひとつ日記で訂正が・・・
『バカハウス』〜マルシー茂木健一郎さん〜は、 南伸坊さんの描いた馬と鹿の壁があるために 『バカの壁』で建てられたと言われておりますが、 新潮社の建てたものではありません。
ただし新潮社では『バカの家』と呼んでおるのですが・・・、
住人の知能を疑うネーミングともなりますので呼称をあらためる予定です。」

「バカハウス」の命名者は茂木さんだったようである。
しかし、南伸坊画伯の揮毫されたという「馬」と「鹿」の壁画はぜひ拝見したいものである。
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