銀色夏生さんと会う。
三宮の丸井の前で待ち合わせて、「やや、どうも」などと片づかない挨拶をしつつ Re-set へ向かったが、なんと休業。
あらま。
「ややや、これは失礼」とさらに片づかない表情になって、次の候補であった「グリルみやこ」へ向かう。
グリルみやこは実はなかなかむずかしいロケーションにあって、私はかつて一度るんちゃんを連れて行って、ついにここにたどりつけなかったことがある。
そのときに、グリルみやこへの地理については空間的表象を断念して、「西村珈琲の角を曲がって左に折れる」という言語的な記憶を以後のよすがとすることにした。
銀色さんとてくてくと中山手通りを西に歩いてゆくが、行けども行けども西村珈琲がない。
とうとうNHKの前まで来てしまった。
これは行き過ぎ。
通りすがりの人に「あのー、西村珈琲ってどこでしたっけ?」と訊ねる。
この段階で銀色夏生さんの表情に「このひとについて行って大丈夫なんだろうか?」というかすかな不信の色が浮かんだとしてもそれを責めることは誰にもできない。
「あっちです」と東の方を指してくれたが、そこは私たちが今通ったばかり。
カフカ的不条理に困惑していると、「あ、西村珈琲、もうないんだ」と教えてくれた。
なんと。
油断も隙もない。
というより、半年に一度くらいしか街に出ない私が悪いのだが。
工事中のビルの横を曲がるとたしかに見覚えのある路地に出る。
やれやれ。
ひさしぶりのグリルみやこで神戸牛のカツレツを頼む(銀色さんはタンシチュー)。
冷たいワインで乾杯してから、さっそくインタビュー。
別にインタビューの仕事で会っているわけではないのであるが、有名人に会うと、つい「ではお話を伺います」というふうになってしまう。
今回の遭遇は銀色夏生さんの方から「こんど神戸に行くから会いませんか」というオッファーを頂いたのである。
なんと。
銀色夏生さんは私の愛読者だったのである。
信じられないことであるが、事実だからしかたがない。
とはいえ、先方はかつて大沢誉志幸、ジュリー、田原俊彦、キョンキョン、伊藤銀次くんなどに作品を提供した伝説の天才美女詩人である。
根がミーハーなウチダとしては、あれこれ聞きたいことが山のようにある。
ふむふむなるほど、驚くべきバックステージ話をお伺いする。
銀色さんは二十歳少し過ぎた頃、実家で寝ころんでテレビの歌番組を見ているときに「こんな歌詞なら私の方がもっといいものを書ける」と思い(そう思う人間は決して少なくないであろうが)、さらさらと100編ほどの歌詞を書き(これができる人間はほとんど存在しない)、電話帳でレコード会社の住所を調べて郵便で送ったら(ここまでやると遠藤実)、エピック・ソニーのディレクターから「会いたい」という電話がかかってきて、いきなりこの業界の超売れっ子作詞家になったのである。
「一夜明けたら有名人」というとまるでバイロンであるが、二十歳そこそこでそういう出来事に遭遇すると人間はどうなるのか、というのはたいへん興味深い論件である。
銀色さんはごく短期間華やかな音楽業界に身を置いたあと、商業主義的バビロンとオサラバして、いかなる注文仕事も受けず、自分が書きたいことだけ書くというスタイルを今日まで貫かれることになった。
銀色夏生さんの住所も電話番号もメールアドレスも業界の人は知らない。
メディアの担当者を経由してしかコンタクトが取れないという点では大瀧詠一師匠と同じである。
期せずしてアクセス困難アーティストと相次いでおめもじする機会を得たことになる。
なぜウチダのような過剰なまでに開放的な人間が「謎の人」たちより辱知の栄を賜ることになったのか、これまた興味深い論件ではあるが、別に私以外のひとにとっては興味のないことであろうから深くは追及しないのである。
それから約2時間、銀色さんと創作について、子育てについて、結婚について、たいへん深度のある話をさせて頂いた。
会ったばかりなのに、吸い込まれるようにいろいろなことを話してしまった。
銀色さんは独特の「ヴォイス」を持っている人である。
そういう人と話しているときには、具体的な個人に向かって話しているというよりは、そのような形象をまとった「非人称的なもの」に触れているような気がする。
なぜ、私のようながさつな人間が小池昌代さんや田口ランディさんや銀色夏生さんのような繊細な女性クリエイターと遭遇する巡り合わせになるのであろうか。
考えられる可能性のひとつは、私が「かつて少女であったおじさん」(ex-girl ojisan)という屈折した性同一性の持ち主であることが関与しているということなのであるが(ご案内のとおり、この屈折した性同一性を私は鈴木晶先生と共有しているのである)、このあたりの消息は名越康文先生か春日武彦先生に分析して頂くしかないのである。
三宮駅頭にてポートピアホテルにお帰りになる銀色夏生さんとお別れする。
一陣の風が過ぎ去ったようであった。
そして、僕は途方に暮れた(のだが、すぐに気を取り直してJRに乗って芦屋に帰ったのである)。
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(2005-11-26 01:16)