学士会館夜話

2005-11-23 mercredi

たしか一日前に新幹線に乗っていたようなおぼろげな記憶があるのだが、また新幹線に乗って夜の東海道を東京に向かっている。
中一日で東京に舞い戻るのであれば、そのままいればよいではないかと思われる方もあるだろうが、こちらは宮仕えの身、その中一日と出発前に授業を四つやらなければならないので、そうもゆかないのである。
その移動中も眠っているわけにはゆかない。
三砂先生との対談の「あとがき」を書き、『中央公論』の甲野先生対談のゲラを直し、アントワープからくる14人のダンサーのための合気道ワークショップの「せりふ」を考える。
初心者に合気道の説明をするのはべつにむずかしいことではないのであるが、それをフランス語でやらなければならないというのが面倒である。
ご存知のように、私は活字オリエンテッドなフランス語術者であるので、目の前にフランス語話者が登場することを想定しないしかたで語学力が構築されている。
私がフランス語をすらすら話せるのは、日本人でかつフランス語を解さない人々を前にした場合(たとえば本学のフランス語の授業などは理想的な環境である)に限られており、フランス語を母国語とする人々を面前にした場合、私のフランス語運用能力は有意な低下を示す。
それゆえに私のことを「フランス語がへたっぴな人」という印象をもつフランス語話者が多いのはまことに遺憾なことである。
私はフランス語話者以外の前ではたいへんに流暢なフランス語を語るという事実を彼らが知らないために、「私は大学のフランス語の教師である」という名乗りに対して、彼らは一様にジョークを聴いたかのように腹を抱えて笑うのである。
たいへん不愉快なことである。
私はそれらの諸君がおそらくはその一行とて解さないであろうようなたいへんに難解にして深遠なるフランス語テクストを二行くらいは解するのであるが、その彼らの母国語における圧倒的なリテラシーの差を彼らに彼らの母国語をもって理解せしめるだけの手段を持たないことが悔やまれるのである。
しかし、仮にもフランス語教師として禄を食んでいる立場上、フランス語話者たちが大学を公式訪問したような場合に「腹が痛い」というような言い訳をしてトンズラすることは許されない。
しかたがないので仏和辞典を引きながら「肘を支点にして腕を使ってはいけない」とか「体軸を整えて後頭部を天に向かって伸ばす」というようなフランス語作文をする。

メールを開くと次々と仕事の依頼と面談の申し入れが来ている。
すべてお断りする。
唯一の例外は H 水社の S 山くんで、彼の場合は、うちのるんちゃんが彼のファンであるという関係があって「ご挨拶」に伺いたいというお申し出を快諾する。
S 山くんは出版社勤務のかたわら過激なロッカーとして知られており、るんちゃん情報によると現在は「七色の髪の毛」をしているそうである。
そのようなファンキーな社員を許容している H 水社の度量の大きさに私は深い敬意を抱くのであるが、だからといって H 水社の仕事を例外的に引き受けるというような公私混同は私の良識ある社会人としての節度が決して許さないのである。
返信メールに「不肖の娘がいつもお世話になっております」と書いてから「不肖」が「父に似ず愚かな」という意味であることを思い出す。
るんちゃんはそのような形容を決して許さないであろうから、あわてて削除する。
かといって「最愛の娘が」とか「才能豊かな娘が」というようなことを書くと、かりにそれが事実であったとしても(事実であるが)父として「非常識」のそしりをまぬかれえない(すでに非常識な発言を行っているが)。
「愚息」とか「豚児」とか「荊妻」といった語とともに「不肖」もいずれまた父権制イデオロギーをはしなくも露呈する語として PC 的禁句となるのであろう。

さ、明日は筑波大学で日本体育学会のシンポジウムである。
何を話すかまったく考えていないが、なんとかなるでしょ。
養老孟司先生の講演が私たちのシンポジウムの前にあるので、それが楽しみである。
今夜の宿泊はいつもの学士会館である。
学士会館といえば「デュークオクテット」である。
ここは10年くらい前まではお風呂が部屋についてなくて、共同浴場であった。
植木等さんの『Go! Go! Niagara』でのロング・インタビューはこの学士会館が進駐軍のオフィサーの宿舎であった時代の爆笑秘話で満たされているが、その中でもっとも印象深いのは、トランペットのハヤカワさんが、デクさんこと萩原哲晶さんの頭に「おしっこ」をかける浴場での逸話である。
まさか、このお風呂じゃないよね、と思いながら入る学士会館のお風呂はまた格別に風雅なものであった。
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