恒例の温泉麻雀第三回。
ウチダは麻雀ばかりしてないか!という怒りの声が聞こえてきそうであるが、それは短見というものであって、温泉麻雀という名目で各界(ビジネス界、ナイアガラー界って、ふたつしかないや)の専門家からその底知れぬ知見を拝聴して明日の糧にしようという本来はきわめて教化的な集まりなのである。
今回私が深く自得したのは「単騎はオタ風地獄待ち」という古来の麻雀古諺がなるほど中国四千年の名言であること、「三面張より双ポン」、あるいは「貧者のチャンタ」、「ツキに見放されたら七対子」といった言い古された格言の実効性であった。
今回のセミナーの戦績はイシやんが圧勝のプラ200。ヒラやんがめっためたのマイ200。ウチダ “まむしのBros” は兄弟合わせてプラマイゼロ。
前回と同パターンである。
平川君は半荘平均マイナス20、トップなしという、涙なしには回顧することのできない惨敗ぶりに加えて箱根に来る途中での交通違反による免停、長時間の不自然な姿勢による腰痛と三重苦の二日間であった。
好漢の身にふたたび幸運の女神が微笑む日がくることを願うこと切である。
聴取した楽曲はウチダ兄の強い要求によりおもに1960年代ものが選択せられ、これを全員が「合唱」しながら麻雀を打つというたいへんに愉悦的な時間であった。
このメンバーは実はみなミュージシャンなのである。
日経のデータベースには記載されていないであろうが、辣腕ビジネスマンとして知られるウチダ兄はかつて「下丸子のタル・ファーロー」と異名されたジャズ・ギターの名手であった。
彼は「ギター買ってくれたら受験勉強する」という受験生がダメモトで口走る妄言を両親が「わらにもすがる」思いで信じたことでギブソンを入手して、それを抱えて(受験勉強どころか)キャバレーでバンドマンをしていた性悪の浪人生であった。
ヒラやんとイシやんはかつて「サザンヒルズ」というフォークバンドをやっていたことがある(バンド名は「南の小山」。イシやんが都立南高校、ヒラやんが都立小山台高校の在学生であったことから安直に命名されたのである)。
かくいう私は東京大学軽音研の伝統あるジャズバンド「イーストハード」の(二軍バンドの方の)ドラマーとして渋谷の「デュエット」のステージで So what? を演奏したこともある。
そして、イシやんはそのあと30年にわたる長き「ナイアガラー人生」をこけつまろびつついてゆく私の手を引いて歩まれたわが「ポップス道の師」である。
彼のパワーブックに仕込まれた5000曲のポップスを聴きながら、中学生気分に戻って「アーイ、シュダノンベラウイザガライキュー! あ、中ポン」とか「プリーズ、ロックミアウェイ! 七萬ロン!」などと高校生にもどって唱和しているうちに愉悦の時間は流れるように過ぎてゆくのであった。
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(2005-11-21 23:20)