杖道の授業を途中で抜け出して、どたばたとJRを乗り継いで森ノ宮の名越クリニックへ。
本日は『中央公論』の1月号の「教育特集」のために、甲野先生とみっちりと「教育論」を語るのである。
甲野先生と私の対談企画を持ち込んだのは中公の若い編集者I之上くんである。
「おふたりともたいへんお忙しい方なので、日程の調整がむずかしいかと思います」と言うので、「ふたりで相談して決めた方が話が早いよ」と返事しておいたら、すぐ甲野先生から携帯に電話がかかってきた。
甲野先生が福山から東京に戻られる途次、大阪でランデブーするということに話を決める。
対談する二人が勝手にスケジュールを決めて「じゃ、この日にやるから東京から来るように」編集者に指示するということは世上あまりないことではないだろうか。
しかし、今にして思えば、それは甲野先生と私で対談という人選をした段階ですでにI之上くんが犯した「最初のボタンの掛け違え」であり、以後どのような軌道修正を試みても、もはやおじさんたちの好き勝手放談地獄から逃れる道はなかったのである。
彼が「取り返しのつかない企画」を編集会議で通してしまったことに気づいたのは対談が始まって3分後くらいのことであった。
だが、若者よ、これも人生勉強だ。
対談はまず「これ編集でカットしてくださいね」という話から始まり、「わははは、編集でカットですわな、これは」という話題を大量に盛り込んだ末に、「これは・・・編集でカットさせて頂きます」という話を以て終わった。
優に単行本一冊分に相当する3時間の対談であったが、『中央公論』に採録されるのは、その10分の1くらいであろう。
このオフレコ部分を聴いて腹を抱えて笑っていたのはただひとりのギャラリーとして招かれたI田先生であった。
昨日は麻雀でびう、今日は甲野先生対談参観と、毎日ご苦労さま。
会場提供者の名越先生は東京でのお仕事で、対談には間に合わず、電話で近況報告だけ。
「名越先生、また遊びましょうね。なんか仕事にかこつけて」
仕事を口実にしないと会えない哀しい二人なのである。
こんどA日放送でラジオの仕事があるから、そのときに「名越・ウチダの劇薬人生相談」の企画を売り込もうかとふと考える。
毎週一回会って、2時間くらい他人の人生相談をネタにしておしゃべりをするのである。
楽しそうだ。
あれ・・これって、今毎週やってる「現代霊性論」と同工異曲・・・
そ、そうか。あれも授業に名を借りて釈先生と遊ぶついでに人生相談という企画だったんだ。
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(2005-11-15 13:54)