頭が悪くて何か問題でも?

2005-11-14 lundi

日曜といってものんびりできない。
昼からK談社の新雑誌のための取材。編集者とライターとカメラマンと三人おいでになって、「頭がいいとはどういうことか」についてインタビューである。
「頭がいいとはどういうことか」という問いについては私には長年の疑問がある。
「頭がいい」とはどういうことかについて知っていると称する人間は、当ながら、自分は「頭がいい人間と頭が悪い人間を識別できる」ほどに頭がいいと思っているということを意味するわけであるが、彼の「オレは頭がいい」という確信には、その名乗り以外にはいかなる根拠もないということである。
にもかかわらず、「彼は頭悪いね」というような評言について、「貴下はいかなる汎通的根拠にもとづいてそのような判定を下す権利が自分にあると信じられるのであるかを400字以内で述べよ」というような反問をする人間は存在しない。
存在してもいいはずなのであるが、存在しない。
これは過去 30 年間、あらゆる機会に「あいつはバカだ」とか「彼は頭いい」というような印象的放言を繰り返してきた私自身がそのような反問に一度として遭遇したことがないという事実によって経験的には確証せられているのである。
つまり、「頭がいい」とか「あいつはバカだ」といった知性にかかわる判定は「言ったもん勝ち」なのである。
「あなたの言っていることは間違っている」という指摘によって相手を黙らせることはほとんど不可能である。
「間違い」の指摘は猛然たる反論を覚悟しなければならない。
「あなたはこれこれしかじかの事実について知らない」という「無知」の指摘によって相手を黙らせることは、「間違いの指摘」よりは効果的である(『朝まで生テレビ』や『TVタックル』などでは、ほとんどそれしか有効な論争的利器は存在しないかのようである)が、それでも「それを知らないことがどうして私の命題の当否に決定的に関与していると汝は言いうるのか、その理路を明らかにせよ」というような反論は十分に可能である。
現に私はその反論によっていかなる点について無知を指摘されてもそ知らぬ顔で今日のこの日を迎えている。
それに比べると、「君は頭悪いね」という無条件的断定はいかなる反論も受け付けない最強の批評的ウェポンである。
どうしてこの「頭悪い」という評言がこれほどまでに有効であるかというと、この評言は「読者」あるいは「その場にいる人々」の無言の同意に向けて開かれているからではないかと私は考えている。
ある命題が間違っているかどうか、事情を知らないはたの人間は検証しようがない。
ある情報を欠いていることが致命的な瑕疵であるかどうかも、素人にはわからない。
けれども、「君は頭が悪いね」という断定をしている人間とそう断定された人間のどちらの人間が「頭がよい」のかの判定は、当事者間では検証できず、原理的に「第三者の査定」に向けて開かれているのである。
この「おう、こうなったら、てめえをおいらと、どっちの言い分が正しいか、ひとつ世間様にきめてもらおうじゃねえか」というディスクロージャーの構えが「君は頭悪いね」という評言には含まれている。
この「当否の審級を当事者間の確執から第三者評価に繰り上げる」開放性が、「頭悪い」という断定のもつ「強さ」を担保している。
私はかように考えるのである。
というようなことを述べたらよかったのだが、こういうのはすべてあと知恵なので、当日はぜんぜん違うことを話したのである。
さいわい、その前夜にたまたま西宮までおいでになった鈴木晶先生と一夕痛飲しつつ、「頭がいい」とはどういうことかについて長時間意見交換を行ったばかりだったので、鈴木先生から聞きたての「受け売り」を含めていくらでもネタがあったのである。
鈴木先生と私はあらゆる論点で、意見が合い、「それは違うんじゃないの」という議論というものをしたことがない仲良しなので、鈴木先生から聞いた話を私のコメントとしてお話しし、原稿料のみ私が占有するということがあっても、私としては特に心が痛むということはないのである。
鈴木先生どうもありがとうございました。

インタビューが終わる頃に続々と甲南麻雀連盟会員たちが参集してくる。
本日は 7 名が参加。
ということは、常時3名が卓外にあって順番を待っているということなのであるが、この方たちががんがんワインなんか飲まれるので、たいへんににぎやかであり、麻雀を話のネタに宴会をやっているというのに近い状態になっている。
例会も4回を数え、これまでのところ、江さんがダントツの一位。私がホストとしててがたくプラスの2位。残るみなさんは全員マイナスという階層化日本の縮図のような状況を呈している。
しかし、そろそろ釈先生が底力を出して逆襲してくる予感もあるし、ドクターが泥酔状態でぶっちぎりのトップを取って「なんだ、酔っ払ってれば勝てるんじゃないですか!」と必勝法を発見されたようでもあり、「江帝国の落日」が年内にきざすことはおおいに期待できるのである。
昨日は『麻雀入門』本を読んでルールを覚えてきたI田先生が麻雀でびうを飾り、「初上がり」というものを経験され、メンバー一同の暖かい拍手で迎えられた。
カゲウラ青年も初参加し、先輩雀士たちの「手痛い歓迎」(スポーツ欄の常套句だな、これは)を受けたこともここに書き留めておきたい。
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