愚痴を言ってはいけないよ、とつねづね兄から諭されてはいるのだが、それにしてもあまりに忙しい。
昨日は一日だけで取材の依頼が2件と講演の依頼が1件と番組出演の依頼が1あった。
その前の日は取材の依頼が1件。
その前の日は連載エッセイの依頼が1件。
「もう書き下ろし本はむりです」と告知したせいで、さすがに「本を書いて」というオッファーは来なくなったが、その代わりインタビュー、講演、アンケート、エッセイ、対談といった「小ネタ」(とってはオッファーしてきた媒体に失礼だけど)で責め立てられている。
積もり積もれば、侮ることのできぬ仕事量である。
さすがに「大晦日にラジオ生放送で今年を回顧」というオッファーはお断りしたけど。
このあとの日程は・・・
12日が入試で、そのあと鈴木晶先生と晩ご飯。
13日がK談社の取材で、そのあと甲南麻雀連盟第四回例会。
14日が授業と会議のあとに大阪の名越先生のクリニックで甲野善紀先生と対談。
15日が下川先生のお稽古と授業が二つ。
16日がオフの水曜なのに会議が二つ、夜は文春と『私家版・ユダヤ文化論』の打ち合わせ
17日は授業が二つに合気道の稽古。
18日は授業がひとつと会議が三つ。
19日は朝から公開講座、そのあと合気道の稽古、そのままソッコーで箱根に移動して温泉麻雀。
その次の週はさらに破滅的な日程なのであるが、書くと気が滅入るから書かない。
鈴木晶先生とご飯をたべたり、温泉に浸かったり、麻雀したりすることはもちろん「仕事」ではないのであるが、そのような愉悦的時間が存在することによって、労働時間が刻々と圧縮されてゆくことは避けがたい。
にもかかわらず私はこのあと年内に講演を三つ(公開講座、朝カル、日本体育学会)、論文を二本(女子体育学会、総文叢書)、校正を三冊(甲野先生との対談本、三砂先生との対談本、ユダヤ文化論)、集中講義をひとつ(京大で映画論)しなければならない。
講演も論文も集中講義も(ご賢察のとおり)何の準備もできていない。
「さぼるなよ」と言われても困る。
私の人生に「さぼっている」時間など一秒も存在しない。
私は(休んでいる時間以外は)ずっと働き詰めである。
準備する時間が物理的に存在しないのである。
とういうわけで、昨夜通販で届いた「ジャンボ座椅子」にすわって「タンタカタン」を飲みつつ一日に許されたただひとときの安逸の時間を楽しんでいるときに電話がかかってきて、D女子大のN村先生から学会講演を依頼されたとき、私のなかで「このままでは死んでしまう・・・」という確信が深まったのである。
N村先生はイス研のお仲間であるから、これはお断りすることのできぬ筋のものである。
だが、どう考えても十分な準備をしてある程度のクオリティの講演をする見通しが立たない。
恥をかくのは私ひとりだが、内容のない講演をきかされて悶え苦しむのは善意の人々である。
論文の類にしても同断。
もう私には書くことがない。
すでに私の本についての書評には「ウチダ本はどれを読んでも同じことばかり書いてあってつまらん」という正鵠を射たご指摘が関係各方面から礫のように投げつけられている。
ご指摘のとおりである。
つまらない本を読まされる読者諸氏も不幸であるが、それ以上にこちらが「やりたくない」と言っている仕事を「いいからやってよ」と強いられて、あげくに「つまんないね」と言われる私も不幸である。
というわけで、本日をもって、「小ネタも含めて、今年度末までの新規の仕事はすべてお断りします」ということをここにきっぱりと宣言させていただくのである。
受けてしまったものはしかたがないけれど、それらについても「クオリティについては期待しないでいただきたい」というより「低品質には自信があります」ということを念押しさせていただくのである。
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(2005-11-12 11:20)