オリジナリティについての孔子の教え

2005-11-04 vendredi

2年生の文献ゼミのお題は「のま猫」問題。
「『のま猫』って何?」というご期待通りのリアクションをしてしまった。
これについては詳細な報告がネット上でお読み頂けるようなので、それをご参照いただくとして、要するに、「2ちゃんねる」上で活躍していた「AA(アスキーアート)」(「顔文字」というやつですけれど、これも知らない人にはまったく想像がつかないものでしょうね)の「ネコマンガ」をエイベックス社が商標登録してしまったために2ちゃんねるを発火点にして抗議の運動が起き、結果的にエイベックスが商標登録を断念した・・・
というのも説明になっていないけれど、とりあえずそういうことです(これに「恋のマイアヒ」という楽曲が絡んでいるのであるけれど、話がややこしくなるので割愛)。
ここには「オリジナリティとは何か?」という大きな問題が伏在している。
まず前提的なことを申し上げるけれど、繰り返し申し上げている通り、私は「オリジナリティ」とか「コピーライツ」とか「オーサーシップ」ということについては原則的に懐疑的な人間である。
ある意味で私たちが日々作り上げているすべてのものは先行する何かの「コピー」である、というのが私の持論である。
別に持論と言ってオリジナルを誇るほどのことではなく、孔子が今から2500年前に「述べて作らず」(私の申し上げることは先人のコピーであってオリジナルではありません)と宣言しているので、私はそれをコピーしているだけである。
「それだったら何も新しいことは出てこないじゃないか」
といきり立つ方がおられるかも知れないけれど、それは短見というものである。
逆説的なことであるが、「オリジナル」なものの多くはその初発の形態において「コピー」というかたちを取るのである。
「これはコピーです」という恥じらいをもって提示されるものは「これはオリジナルです」といばって提示されるものよりもほとんどの場合オリジナリティにおいて勝っている。
「オリジナルであろう」とする気負いはその人の蔵する真に前代未聞なるものの湧出を妨げる。むしろ気楽に「これ、コピーです」と言って差し出されるもののうちにしばしば恐るべき「斬新さ」が棲まっているのである。
こういう逆説は長く生きているとしみじみ骨身にしみるのであるが、お若い方にはなかなか得心がゆかないかも知れない。
孔子がどうして「述べて作らず」ということを言ったかということについては『街場のアメリカ論』に縷々記したけれど、未読の方も多いであろうから、その箇所を摘要しよう。

『孔子伝』に白川静先生はこう書いています。
「過去のあらゆる精神的遺産は、ここにおいて規範的なものにまで高められる。しかも孔子は、そのすべてを伝統の創始者としての周公に帰した、そして孔子自身は、みずからを『述べて作らざる』ものと規定する。孔子は、そのような伝統の価値体系である『文』の、祖述者たることに甘んじようとする。しかし実は、このように無主体的な主体の自覚のうちにこそ、創造の秘密があったのである。伝統は運動をもつものでなければならない。運動は、原点への回帰を通じて、その歴史的可能性を確かめる。その回帰と創造の限りない運動の上に、伝統は生きてゆくのである。」
(…)
孔子の「述べて作らず」(私はコピーしているだけで、オリジナルではありません)という立ち位置のうちに、国家の伝統の「創造的回帰」の秘密があります。孔子は遠く紀元前六世紀にその秘密をみごとに道破してみせました。それは「国の起源の栄光」なるものは、「あの黄金時代はもう失われてしまった」という泣訴を発する人によって遡及的に創造されるものだということです。
「周公の理想」というのは、はっきり言えば、孔子の「作り話」です。孔子以前にはそのようなものをありがたがって回想する人なんか魯の国にはいなかったのです。それを孔子が出てきて、「かつて理想の統治が行われていたのに、それはもう失われ、現代の政治家はすっかり堕落してしまった」と苦悩してみせたら、みんなも「それ」がかつてあったということを信じ始め、そのうちに「それ」が失われたことを孔子ともども嘆くようになったのです。

白川静先生はここで「無主体的な主体の自覚」という言葉を使っておられるけれど、こういう言葉は白川先生くらいの達人にならないとなかなかさらりと口を衝いて出てくるものではない。
創造の力は、「私は創造の主体ではなく、模倣者である」という名乗りによって担保される。
これは洞見である。
ロラン・バルトが「作者の死」で言おうとしていたのも、おそらく本質的には同じことである。
このことから私たちが引き出しうる知見はいくつかある。
そのひとつは「軽々に『創造者』を名乗るべきではない」ということ。
これはエイベックス社の方にはぜひ拳々服膺していただきたいことである。
もうひとつは、「模倣者は模倣をつうじてしばしば前代未聞のことを作り出している」という「創造の秘密」について熟考することである。
『文學界』の11月号に「インスピレーションの範囲―小池昌代さんの「創作」をめぐって」という論考が掲載されていた。
著者は片岡直子さんという現代詩人である。
その論の趣旨は小池さんの詩には「他の詩人の先行作品を連想させるものが含まれていた」というものである。
私は現代詩のことはまったく不案内であるので、この論の当否については判断を留保しなければならない。
しかし、小説については多少のことはわかる。
小池さんの小説について片岡さんはこう書いている。

「私が小説を書く時、身内から自然に立ち昇ったフィクションではなく、無理して虚構を組み立てると言葉数が多くなり、削ることがよくある。小池さんの小説はそういう箇所がとても多く、そのまま残されている。じっくり読むと表現の重なりや繰り返しが多く、全ての字面を追うことが苦痛になる。平田さんが、六行でさらっと描いたところを、これは私の表現・・・と、自分に信じ込ませるため、行数を積み重ねているように見える。」

平田俊子さんの詩集の一節と小池さんの小説の中の描写が似ているというのである。
煩瑣になるので割愛するけれど、小池さんの小説の17行(432字)が平田さん6行の詩(72字)を「自分の表現と信じ込ませるために行数を積み重ねた」ものとする推論にはいささか無理があるように私には思われる。
引用された詩の内容は母親が娘の日記や私信をこっそり読むというものである。
次のような詩である。

 四十代のこの人は
 娘の日記をこっそり読んで
 娘に来た手紙を勝手に開けた
 娘が幸せにならないように呪いをかけた
 呪いは実によく効いたので
 娘は毎日頭痛で悩んだ

もし、「母親が娘の日記や私信をこっそり読む」という場面を構想したことが平田俊子の発明であり、そのような状況設定やそのような経験によって人間がこうむる傷について書くことを「平田さんが、六行でさらっと描いたところ」を敷衍しているというふうに批判されるとしたら、おそらく多くの小説家が同じ批判を甘受しなければならないだろう。
だが、平田さんが2004年刊のこの詩を書くより前に、母親が娘の日記や私信を開封して、娘の幸福を阻害したというエピソードを書いた作家はおそらく千人はくだるまい。
ほとんどの人が読んで同じ印象を受けたと思うが、平田さんの引用した詩の「きかせどころ」は「呪い」と「頭痛」の相関という呪術的な身体感である。
小池さんの小説の問題とされた箇所には「呪い」の話も「頭痛」の話も出てこない。
「娘の日記や私信を読む母親」というのはある意味では定型的な過干渉のありようである。それが「呪い」やその実効にまで達したというところに「詩興」はあるのではないかと私は素人ながら思う。
なぜ、小池昌代さんがほとんど定型的な状況設定をしたこと(「手紙といえば、山子は思い出すのだが、死んだ母が、山子の手紙を片端から読んでしまうことひとであったことを。」『ニギヤカな岸辺』)がことさらに剽窃の批判を受けなければならないのか、私にはよく理路がわからない。
小池さんが(おそらくは片岡さんの批判を意識して)書いているように、表現というのは「過去に書かれた多くの詩や様々な表現と、根元のところで繋がりながら、その厚みの先端のところで華開いた状態をいうように思える」という理解はごく常識的なものだろう。
小池さんのこの状況設定が定型的なものであるという指摘になら私は同意する。
けれどもそれが創作の範囲を逸脱しているというふうには思わない。
村上龍はかつてすべての小説は「人間が穴に落ちる」「穴からはいあがる/穴の中で死ぬ」という話型でできていると道破したことがある。
そうだろうなと私も思う。
だからといって作家には独創性がないというようなことは言っても仕方がない。
文学史が教えるところではランボーの『酔いどれ船』は海なんか見たことのない田舎の少年が南洋物の三文小説を読んで書いた想像の風景である(ランボー少年が読んだ雑誌の記事も今では知られている)。
それをネタにしてランボーは「行数を積み重ねて」、奇妙な船の詩を書いた。
私たちが文学作品について判断基準にすべきなのは、それが何を模倣したのかとか、何をネタにしたのかということではなく、何を書いたかということだろう。
エヴァリーブラザーズの『キャシーズ・クラウン』とビートルズの『抱きしめたい』はコード進行がほとんど同じである。(と書いた翌朝起きて、『キャシーズクラウン』とコード進行が同じなのは I should have known better だったことを思い出した。謹んで訂正させていただきます。でも I should have known better の邦題って何でしたっけ?「後悔先に立たず」じゃないし、「サルのアトヂエ」でもないし・・・)
でもそのことが『抱きしめたい』(ここもご訂正ください)の音楽的価値を損なうと思っている人はいないだろう。
私はどちらの楽曲もそれぞれに愛している。
「それでいいのだ」と孔子は教えている。

さらに注:上に「抱きしめたい」じゃなくて、I should have known better だと間違いに気づいたのは「朝起きて」と書いたけれど、厳密に言うと、朝起きて出勤する前に確認のために(このへんがけっこう学者)、大瀧詠一・山下達郎ご両人が1981年にNHKFMで放送された「エヴァリーを歌う」のテープを聴き直して、確認したのである。
その中で Cathy's clown とI should have known better のコード進行の一致について大瀧詠一師匠がご指摘されている。
「これを盗作とかね、そういうさびしい言い方をして欲しくないね」
と師匠はおっしゃっておられる。
テープを聴いて間違いに気づき、訂正したところでほっとしてメールチェックをしたら、何ととの大瀧先生ご自身から「from 仙人」というタイトルで、私の間違いをご指摘するメールが届いていた。

「『抱きしめたい』じゃなくて、『恋する二人』です」

おお、そうでした、先生「恋する二人」ですね。
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