われらが不満の九月が終わり

2005-10-03 lundi

徹マン明けのぼんやり頭で、まず『ミーツ』の原稿を書く。
大迫力と書いて「おおさこ・ちから」と読む大迫くんから「原稿まだですか」という泣きの督促メールがはいる。
私だって締め切りに遅れたくはなかったのだが、キミんとこの編集長ご自身が「さ、麻雀やりましょう、先生」と言いつつビール片手にわが家に来ちゃったんだから、締め切りに遅れたのは私の責任ではなく、むしろ『ミーツ』そのものの本態性疾患と言っても過言ではないのだよ。
すらすらと書いて送稿。
ただちに「文春のヤマちゃん本」(正式タイトルは『知に働けば蔵が建つ』)の校正に取りかかる。
校正といってもデータで来ているので、いくらでも書き直しが効く。
最初に草稿として届いたデータからはずいぶん内容が変わってしまった。
採録漏れの「政治ネタ」も何本か追加で入れたので、全体にだいぶ「硬い」本に仕上がっている。
たまにはいいでしょう、硬い本も。
午後1時から始めて、午後8時に終了。
さすがに肩がばりばりに凝る。
3週間ほど前も終日身じろぎもしないで本を一冊校正した記憶がある(そのあと三宅先生に「どういう生き方をしたら、こんなめちゃくちゃな身体になるんですか・・・」と絶句された)。おそらく同じおことばを明日の治療のときにもお聞きすることになるのであろう。
このような非人道的なペースで執筆を強要する出版社の方々の人権意識はどういうことになっているのか、一度真剣にお訊ねしたいものである。
イス研の書評原稿20枚も書き上げたので、9月末締め切りの三本の原稿はこれにてすべてめでたく脱稿したことになる。
これで当面急ぎの仕事はなくなった。
次は私が解放される日の来るのを忍耐づよく待って下さったバジリコの安藤さんの『甲野善紀先生対談本』の校正に取りかからねばならない。
これはほとんど書き上がっているので、何十頁か書き足すだけで終わる。
そのあとには同じバジリコの足立さん担当の『三砂ちづる先生対談本』の校正データも届くはずである。この本の私の加筆箇所はほぼ終わっている(ような気がする)。
それから『私家版・ユダヤ文化論』の新書化に当たっての校正が入る。これは一月刊行予定であるから、おそらく来月なかばには書き直しについての詳細なる指示メモが文春から届くであろう。
『東京ファイティング・キッズ2』もそろそろ単行本一冊分くらい原稿がたまったはずなので、ぼちぼち柏書房からお声がかかる頃合いである。
そういえば、高橋源一郎さんに頼んでおいた『読んでなくても大丈夫』の校正ももう上がって良い頃である。
なにしろ、去年の暮れにゲラのデータをお渡ししているのである。
たしかそのときには「三月末まで」にというご返事であった。
その次に五月にお会いしたときには「今月末には」というお答えであった。
その後七月にお会いしたときには「来週末には」というお答えであった。
だんだんインターバルが短くなっているので、次にお会いしたときには「明日までには」となり、その次にお会いしたときは「今夜中には」となり、その次にお会いしたときには「あと3時間後に」・・・というふうになることはほぼ予測がつくのである。
ご賢察のとおり、これは「アキレスと亀」の応用であるから、編集者である私は決して高橋さんに追いつけない構造になっているのである。
その高橋さんともう一回お会いしておしゃべりをすると、朝カルの分と、『竹信本』の巻末対談とあわせて、本一冊分になる。
これは誰よりも私自身が読みたい本なので、はやく実現したい。
講談社の『学びからの逃走・労働からの逃走』もできれば今年度中に書き上げたいものである。同ネタで二度も講演をしているので、書きたい材料は揃っているのだが、書く時間がなかったのである。
これが「当面急ぎの仕事がなくなって、ほっとしている」ウチダの現状である。
兄上からは「タツル、ブログで愚痴を書くなよ」とご叱正頂いているけれど、兄ちゃん、これは愚痴ではなくて、関係各方面への「アッピール」なんです。
関係各位はそれぞれの政治的文脈に即して私の意のあるところをご判読いただきたいと思う。
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