痩せなきゃ

2005-09-25 dimanche

上智大学で『他者と死者』の読書会。
赤羽先輩が幹事で、久米博、中山眞彦両御大、西川直子先生、佐々木滋子さんという都立時代の先輩方、早稲田の吉田裕先生はじめ研究会のお歴々の前に出ると不肖ウチダもまだまだ若輩者であるので、おとなしく同書の執筆意図や歴史的文脈についてご報告申し上げる。
さっそく内容について諸先生方からきつい質問や疑義がびしびしと叩き込まれる。
私の文章の理路が混乱しているとか言葉の使い方が間違っているといった指摘については「へへ、どうも」と謝れば済むが、「レヴィナスはいったい何が言いたいのか」というご下問となるとさすがそうもゆかない。
いや、老師がおっしゃりたいことは、不肖ウチダが拝察いたしますには・・・と脂汗を流しながら返答さしあげることになるが、私のつたない説明ではなかなかご納得いただけない。
私自身、二年がかりで本一冊書かないとどう読んでいいのかわからなかったし(いまだによくわからない)老師の理説である。一問一答ではいはいとご説明できるというものではない。
赤羽さんがときどき助け舟を出してくれるが、ひとりで応戦しているうちにだんだん頭がオーバーヒート、脳がガス欠になってくる。
さいわいウチダ本の「愛読者」という方もおられて、その方たちの「わからなかったけど、わくわくしました」という励ましで何とかもちこたえる。
5時半になったところでレフェリーの赤羽さんが打ち切りを宣言してくれて、3時間半にわたる口頭試問(だよな、これは)が終わる。
やれやれ疲れた。
台風の影響での横殴りの雨の中、四谷の居酒屋にぞろぞろ赴いて、打ち上げ宴会。
宴会ではうって変わって、ネット右翼のこと、先般の選挙の総括、大学セクハラ事情といったシビアな話になる。
さらに佐々木さんに誘われてもう一軒。
明日が朝から仕事なので、あまり飲まないつもりだったが、同行の上智大学の仏文の若手のみなさんの話が面白くて、ついつい腰をすえて長広舌をふるい、結局看板までねばってしまった。
学士会館に戻って、11時就寝。
午前5時にぱちりと目が覚める。
突然、10月8日に多田塾合宿と出版記念パーティのダブルブッキングをしていたこと思い出した。
どうして寝ているときに突然そんなことを思い出したのか不思議であるが、「10月8日」という数字が何か「変」だという印象が意識下にずっとあって、それが山本画伯から来た「いま池上先生といっしょです。君も来ない?」(そのころ私は打ち上げのさなかでありました)というメールを寝しなに読んだのに触発されて、寝ているあいだに観念が結びついたのであろう。
「10月8日より多田塾合宿」という記事はダイヤリーに手書きしてあり、携帯のスケジュールには10月8日「AO 入試」「出版記念パーティ」と入力してある。
スケジュールをそれぞれをばらばらに見ていたので、二つの行事が同一日であることが意識に前景化していなかったのである。
もともと8日は AO 入試があって合宿初日には参加できないことがわかっていたので、出版記念パーティのお話があったときには「その日は空いてます」と申し上げたのである。ところが、先週の木曜に突然 AO 入試の試験官の仕事を免ずるというお知らせをいただき、「なんだ、合宿行けるじゃないか!」と喜び勇んで飛行機のチケットを手配したのである。
そのときに「10月8日午前9時の ANA 513」のチケット発券を待ちながら、「10月8日って、どこかで聞いた覚えのある日付だなあ・・・」と思いながらそれが何の日なのか思い出せなかったのである。
『身体の言い分』の出版記念パーティはすでに過去三回やっており(最初は信州の温泉で、二度目は牡丹園別館で、三度目は青山ブックセンターのあとのイタリアンで)、今度が四回目である。
イベントとしてのインパクトがやや弱く、私のこのところたいへん機能低下している記憶力にとどまることができなかったのであろう。
主催者の三宅先生にも遠くからおいでになる池上先生にもまことに申し訳ないけれど、今回はそういうことでひとつ・・・
このような非道なダブルブッキングを乱発していると、そのうちに周囲の人々に見限られて、ついには社会生活が営めなくなってしまうのは時間の問題である。
しかし、ひとことだけ言い訳させていただくならば、すべては私のプアーな記憶容量をはるかに超えるタイトなスケジュールのせいなのである。
現に明日の月曜だって、私は12時50分から臨時教授会に出て、そのあと13時50分から部長会に出て、そのあと14時55分から16時25分まで釈先生と授業をしている間に16時から施設関係の会議に出て、そのあと16時35分から18時5分まで体育の授業をしている間に18時からの学部長会に出て、18時5分から19時までの杖道のクラブ指導をしなければならないのである。
ごらんのとおり、通常の教育活動に二つの会議がすでに「ダブル・ブッキングされている」のである。
一人の人間は同時に二つの場所にいることはできないと思うのだが。
早朝にダブル・ブッキングのミスに気づいて、何とも気の滅入る朝食であったが、やってしまったことはしかたがない。これから関係各方面に土下座して回るだけである。

9時45分に『月刊ソトコト』(「ロハスピープルのための快適生活マガジン」なんですって)というたいへんお洒落な雑誌の取材がある。
取材にいらしたのは月本裕さんという作家の方である。
先般の総選挙に見られた「弱者による弱者バッシング」という倒錯した現象についてコメントを求められる。
政治的価値というのは最終的にひとりひとりの政治実践者の実存的企投に担保されるものであるから、ネット上で政治的言説を匿名で発信している人間たちが何十万いてもそれが身体性や固有名を引き受けないものにとどまるかぎり本質的な意味での「政治運動」にはならないという話をする。
若い方々はあまりご存知ないようだけれど、政治運動は社会理論と同じくある種の「生物」に似ていて、「誕生」があり、「成長期」があり、「開花期」があり、それから長い「没落期」があり、最後に「死」が訪れる。
物理的な時間幅だけ見れば、政治活動家というのは、そのほとんどの期間で実は「後退戦」を戦っているのである。
いわば櫛の歯が抜けるように、ひとりまたひとりと「同志」が戦列を離れ、振り返るともう誰もついてこない・・・というようなたいへん気の滅入る局面である。
しかし、誰がなんと言おうと、政治運動というのはその過半が(場合によっては全期間の90%が)そういう情けない「落ち目」の局面なのである。
それでも誰かがこの後退局面を引き受けて、しんがりとなって悪戦を戦い抜き、最後に政治運動が息を引き取るそのときに臨終の証人としてその場に居合わせなければならない。
そのときにはじめて、誕生から死までのその政治運動全体の歴史的な意味と価値が確定するからである。
そのような喪の儀礼を引き受けるのは最終的には固有名を持つ個人である。
「喪主」が存在しない政治運動(つまり、高揚期が過ぎた瞬間に運動の後退戦の引き受け手がひとりもいなくなってしまうような運動)は(弔いする人間のいない死者が悪霊になるように)生腐りのまま放置され、いつまでも悪臭を放って、その運動にかかわったすべての人間にとって刺さったまま抜けない棘のような「恥」となる。
政治運動にコミットするということからほとんどの人は、ゼロから運動を作り出してゆく草創期の高揚感と、運動が一気に祝祭的なエネルギーを獲得してゆく瞬間の興奮のことだけを考えるけれど、それは短見というものである。
政治的主体の果たしうるもっとも重要な仕事はそのような「サニーサイド」にはない。
「凋落する政治運動」の「死に水を取る」人間がどれほど誠実にその仕事を完遂したかによって政治運動の真の価値は決定するのである。
それは私たちが愛する人の凋落と老衰と死を看取るという経験とほとんど変わらない。
もし、自分の親が健康で収入があるときには親しむが、病気になって貧窮になったら見捨てるという(リヤ王の子供たちのような)人間がいたら、私たちは「それは人間としてまずいんじゃないか」と言うだろう。
自分の妻が美貌である間は愛するけれど、皺が寄って腹に肉がついたら棄てるという男がいたら、やはり「それは人間としてまっとうなやりかたじゃないよ」というだろう。
親子や夫婦の関係のほんとうの価値は、「楽しい時代」にどれほどハッピーだったかではなく、「あまりぱっとしない時代」にどう支えあったかで考量される。
政治運動だってある意味それと同じである。
落ち目のときに誰がどんなふうにその運動に付き合い、誰がどんなきちんとした葬式を出したかということは運動の価値に決定的に関与するのである。
「蔵前一家」がどのような博徒集団であったかということを決定したのは一家の草創期の逸話でも、全盛期の縄張りの版図でも寺銭の総額でもない。すべての身内が四散したあとに、最後に残った花田秀次郎がただ一人一家のけじめをつけるために「唐獅子牡丹」の旋律に送られて殴りこみに行ったことによってである。
彼の行為はパセティックな復讐心だけではなく、「喪主」としての義務感によっても動機づけられているのである。
「ある運動集団の凋落局面における少数者の責務」、ほとんどそれだけを主題にした『昭和残侠伝』が60年代にあれだけの圧倒的支持を獲得したのは、政治の本質が「滅びてゆくもの」の弔いのうちに存するということを、当時の政治少年たちが無意識のうちに看取していたからだと私は思う。
「おとしまえに時効はない」というのはその頃無名の活動家がアジビラに書き付けたことばの中で印象的なものの一つだが、まことにことの本質をただしく衝いていたことばである。

続いて10時半から読売新聞のインタビュー。
お題は「ポスト・フェミニズム」
二人の記者(ひとりは女学院中高部卒業生のニシダさん)を相手に二時間ほど熱弁をふるう。
この話題については話し出すとめちゃめちゃ長くなるので、またいずれの機会に譲りたい。
その一部は読売新聞の特集で来月の初め頃に読むことができるはずである。

午後2時から6時すぎまで本部道場で、多田先生の講習会。
久しぶりにたっぷり汗をかく。
5時少し過ぎにはもう足腰立たない状態となり、10分ほど休憩する。
普段受身を取ることがないので、受身を取るとぐったり疲れてしまうのである。
体重がオーバーウェイト気味なのもよくない。
猛省して、72キロまで痩せること、体力回復のためにふだんのお稽古でもまじめに受身を取ること、酒を控えることなどを堅く決意する。
だから、今日は稽古で2キロくらい汗をかいたはずなのだが、新幹線の中でもお茶を飲んでいるのである。
はたして、この誓いはいつまで続くのであろうか。
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