「さぬきえんぬ」たちとの一日

2005-09-11 dimanche

9日は香川大学付属病院で講演。
お昼頃にばたばたと支度をして、どういうルートで行こうかなと考えて新幹線の時刻表をネットで検索。芦屋から新神戸まで行って、岡山に出て、乗り換えて高松まで行って、タクシーで大学まで行って・・・その旅程をずっとスーツにネクタイで旅行鞄を抱えて行くことを考えたら、ちょっとうんざりしてきた。
考えてみたら、高松なら車で行けば2時間半ほどのはず。
車なら涼しいし、音楽を聴きながら行ける。
さっそく愛車を取りだして阪神高速に乗る。
明石海峡大橋から時速140キロで淡路島を縦断。淡路島の高速道路は道幅が広く、見通しがよいのでたいへん走りやすい。
徳島から高松までの高松道は片側一車線なので、あまり飛ばせない。
12時少し過ぎに芦屋を出て、3時半ころに高松のホテルに着く。荷物を置いて、三木町の付属病院へ。
まずはお招きくださった森岡看護副部長に平身低頭でこのたびの不手際のお詫びを述べ、看護部長の瀬戸口さん、看護副部長のみなさんにご挨拶をする。
今回私をお招きくださったのは、この看護部のナースの方々である。
どうしてナースの方々が私をおよびになったかというと、何年か前に「看護学雑誌」のインタビューを受けたことがあり、そのときに「インフォームド・コンセント」は日本人には向いていないという話から始まって、だんだん調子に乗って、ナースと医師は治療者としての機能が違い、ナースは太古的な癒しの能力を備えた治療者なのであるというようなことを述べたのである。
「看護学雑誌」に載った私の看護論は多くのナースのみなさんの目にとまることになり、激務のためにバーンアウトする人の多いこの業界に対する外側からの「応援」のことばとして受け止められたようである。
私の話の多くは「何を口から出任せを言ってやがる」と専門筋からは酷評されるのがつねなのであるが(事実なので反論しない)、ごくまれにこのように暖かく受け容れられることもある。
その看護師(という言い方にまだなじめないけど)のみなさんとまずは懇談。
ご存じのように私は「周りが全員女性で、男は私ひとり」という性的に非対称な環境に投じられるとたいへん舌のまわりがよくなる「世之介」体質なので、さっそく看護の世界における今日的諸問題についてのディープなお話を伺う。
さすがにナースの頂点をきわめられた方々たちであるので、そのコミュニケーション感度のよさは驚嘆すべきものがある。
こちらのわずかなシグナルに対して即座に最適なリアクションをもって応じられるのである。
私もさまざまな職業のかたとお話をしてきたけれど、これほど構造的に「楽」な話し相手のあることをかつて知らない(この感覚にいちばん近かったのは精神科医の名越、春日両先生)。
患者がどのような周波数でシグナルを送信してきても、ただちにチューニングを合わせ、その意味定かならぬノイズから適切にメッセージを読み出す能力はナースという職業にとっては優先順位のとりわけ高いもののはずであるから、このコミュニケーションの快適さは考えてみれば自明のことなのであった。
1時間ほど歓談して、講演会場へ。
もともとは看護研修会の一環として予定されていた講演だったのであるが、一日ずれたためにドクターや病院職員や医学部の学生まで聴衆としておいでになる。
医学部の階段教室の底に陣取って、150人ほどの方々をお相手に「隠された知/コミュニケーション/他者」という論題で一席伺う。
私は桑村先生の分類されるところの「視覚型」人間なので、ものを考えるときに上目づかいになる(聴覚型は「横目」使いになり、触覚型は「下目つかい」になる)。
つまり、頭脳が活発に活動しているときには目が上方を向くのである。
この体質の人間にとっては階段教室は「頭の回転が速くなると、聴衆とのアイコンタクト機会が増える」構造である。
学者は総じて聴覚型なので、この教室設計でよろしいということがよくわかる。
しかし、内臓感覚をふりしぼるようにして、身体感覚に訊ねて叡智のことばを語る人は高みから聴衆を見下ろす設計の方が向いているのであろう。
仏教家の説教が「高座」でなされ、キリストの重要な教えが「山上の垂訓」であったように、宗教家にはおそらく触覚型知性の方が多いものと推察されるのである。
教室構造とコミュニケーションのあり方について、階段教室や教壇からの見下ろしをとらえて、あれは「非対称的・権力的」でよろしくないというようなことを言われる方がいるけれど、それは短見というものであろう。

講演には淡路島洲本高校の山田先生、豊田先生のお二人がお見えになる。
先般はタマネギどうもありがとうございました。
またハモ食べにつれてって下さいね。

講演後、瀬戸口看護部長にヨーカンをごちそうになってさらに歓談後、看護部のナースのみなさんにお別れして、肝いりの森岡さんに屋島の「淡海」という料理屋にご案内いただく。
まずは冷たい生ビールをごくごくと飲み干してから、つぎつぎともたらされる海の幸各種をぱくぱくと頂戴する。
ふつうは講演会ではじめてお会いした関係者とさしむかいでご飯をたべるというようなことはしないのだが(あんまり話題もないし)、森岡さんとはダブル・ブッキング事件のすばやい解決によって「窮地の間柄」となっているので、ご飯を食べながら告知の問題や医療事故の問題や散歩の効用などについて「そういうことってありますよねー」と旧知の人のように語り合う。
途中からもうおひとり看護副部長の中村さんが仕事を終えて合流されて、淡海の若女将も加わって、ぱくぱく食べて地酒をごくごく飲んでわいわいと話に興じているうちに気づけば店の他のお客がひとりもいなくなってしまった。
このお酒美味しいですと言ったらその地酒をおみやげにくださる。一升瓶を抱えたままほろよい機嫌で高松市内に戻る。
香川大学付属病院看護部のみなさん、お世話になりました。
屋島の淡海のみなさん、どうももごちそうさまでした(めばるの塩焼きとサンマの蒲焼き美味しかったです)。
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