カトリーナのもたらした災禍

2005-09-06 mardi

アメリカのハリケーン「カトリーナ」の被害状況は一週間経ってもまだ全貌がわからない。死者数千人と言われているが、確認された死者は4日段階でまだ211人。あとは水没した家屋の中や路上に取り残されている。排水が完了したら累々たる屍骸の山が積み上げられるということになるのであろう。
今回の被害については行政の責任を問う声が高いけれど、私には単なる行政府の防災体制の不備というより、アメリカ社会そのものの本質的欠陥が露出した結果のように思われる。
その第一の徴候は、被災者が低所得階層の黒人たちで、彼らが防災上最も危険な地域に集住していたという事実である。
これは階層化された社会においては当然のことである。
階層化社会はそうでない社会よりも強くフィードバックが働くから、「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」ことになる。
低所得層、非白人に生まれた人間はすでにハンディを背負っているが、階層化社会ではそのハンディ格差が成長過程の全局面で(財力、学歴、教養、情報、社会関係資本・・・)強化される。
幼児期のわずかな格差が成長するにつれて拡大するというのが階層化社会である。
低所得層の黒人たちはアメリカ社会では構造的に社会の上層部には浮かび上がることができない。
それは誰かが悪意をもって彼らをスラムにおしとどめているからではない。階層化社会というのはそういうふうにクールに構造化されているのである。
それは社会そのものの本質であって、行政府にどのような善意の人がいても、階層化を是とする限り、改められることはない。
黒人の国務長官が任命されたり、黒人女優がオスカーを獲得したりするのをみて、アメリカでは黒人差別は廃絶されつつあるという印象を持つ人も多いが、実際には「上層黒人」と「下層黒人」のあいだの階層化が進み、「黒人」の間のデリケートな階層差を非-黒人が記号的に認知できるほどにアメリカの人種差別が「リファイン」されてきたということだと私は解釈している。
このような階層化は人種差別を廃絶すれば改まるというものではあるまい。
人種が差別化指標として機能しなくなれば、出身地でも、言語でも、宗教でも、学歴でも、教養でも、どんなものでもそれに代替することは可能であり、あらたな指標に基づいて人々は階層化される。
「年収」と「名声」という明徴的な尺度で国民を上から下まで序列化し、その序列をよじ登りたいという欲望を主要な社会的活力源としている限り、アメリカ社会は階層的であることを止められない。
第二の徴候はアメリカが銃社会だということである。
アメリカの民間人が所有している銃器数は2億2千万丁(警察官や軍人が所有している銃器を除いて)。つまり、赤ん坊から老人まで、国民一人が一丁以上の銃を所有しているのである。
銃による犯罪は年間60万件、銃による死亡者は年間3万人。過去20年間で60万人(これはシアトルの人口と同じ)が銃で死んでいる計算になる。
これは1791年に制定された権利章典の第二条で世界にも類のない「市民の武装権」(「国民が武器を保有し、携行する権利はこれを冒してはならない」)が認められているからである。
被災地では災害の直後から略奪、強盗、レイプが始まったと伝えられている。
このような凶悪犯罪が実効的に阻止できない最大の理由は「犯人が銃を持っている」からである。
阪神大震災のときの被災地では、それに類することは報告されていない。
私のいた芦屋山手町も、あたりの家は震災後無人となり、施錠もされていないまま(というか壁が崩れたりドアが閉まらなかったりで)放置されていたが、窃盗の被害のあったことは聞いていない。
震災直後に西宮のホームセンターにホワイトガソリンを買いに行ったとき、私のあとから中年のご婦人が雨漏りがするのでビニールシートが欲しいと言って買い物に来た。店員はブルーのシートを取りだして女性客に渡した。彼女が値段を訊くと、若い店員は「いいよ、ただで。困ったときはお互いさま」と答えた。
一方、私のホワイトガソリンは定価で売った。
この市民感覚は健全だと私は思う。
私はそのとき万全な防寒重装備をしており、250ccのバイクでばりばり瓦礫の中を走り抜け、料理用にコールマンのガソリンストーブの燃料を買いに来たのである。
「こういうやつからは金を取ってもいい」というのはまっとうな判断である。
アメリカでは事態は逆になっている。
無秩序な状態において、サバイバル能力の高い人間がサバイバル能力の低い人間をおしのけて、それを食い物にしている。
「市民」という概念がここでは内面的な規範としては機能していない。
警察力や行政や地域社会からの外的規制が効いているときはやむなく「市民的」にふるまうけれど、外的規制がなくなったとたんに「市民」の仮面を棄てて恥じないという人間が多数存在するということは、アメリカ社会がことばの厳密な意味で「近代市民社会」になっていないということである。
市民的成熟を妨げているのは第一の「他人を押しのけても勝つ者が祝福される」という階層化社会の原理であるけれど、第二の理由はやはり銃の存在だろう。
物理的な暴力装置が手軽に入手でき、それを誇示しさえすれば、物質的欲望が簡単に達成できる社会では、市民的成熟への動機づけは弱まる。
そんな迂遠なことをしなくても、欲しいものは手に入るんだから。
さらに階層化によって社会下層に釘付けにされた人々「地に呪われた者たち」にとって、略奪は「ブルジョワジーに収奪された財貨を奪還する革命的行為」として政治的に正当化することが可能であり、アメリカでも左翼的な知識人はおそらく略奪に同情的なコメントを発しているはずである。
このように二重三重の仕方で市民的成熟が妨害されている社会はこの先どうなってゆくのか。
被災者の受け容れ体制が整備されないまま、ハリケーンがさらに次々とアメリカ南部を襲うという予報が届いている。
市民的成熟を放置したことのツケが国際社会における敵勢力からの攻撃によってではなく、自然力への耐性の弱さというかたちで露呈するとは、まことに意外である。
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