朝夕涼しくなってきた。台風もばんばん来るし、もう夏も終わりである。
のんびり夏休みを過ごした気がまるでしないうちに明日からまたスケジュールが詰め詰めである。
行く夏を惜しんで、この夏四回目のプールに行く。
プールサイドでフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』を読む。
評判になったのはもう数年前のことだから今頃読むのもあれだけど、そのときはぜんぜん読む気にならなかったのである。
アメリカ論を書き終わったところで急に読みたくなった。
読み始めるとたいへん面白い。
噛んで含めるような議論の仕方はアングロ=サクソンの学者特有のもので、私はフランスやドイツの哲学者の書くぐちゃぐちゃした書きものも好きだけれど、読者によけいな知的負荷をおしつけないリーダー・フレンドリーな本も好きである。
ただ議論の理路はちょっと単純過ぎるような気がする。
うーん、まあそういうことなのかなあ・・・と思ってだいぶ読み進んだら、反ユダヤ主義のことが出てきた。
フクヤマはさらりと「ホロコーストは1920から30年代のドイツに集中的にあらわれた歴史上特異な社会環境の産物だと考えたい」と書いている。
だが、20世紀反ユダヤ主義の思想的淵源はドリュモンをはじめとする19世紀末フランスの思想家たちだし、セルゲイ・ニルスのようなロシアの反動思想家も、ヘンリー・フォードのようなアメリカのビジネスマンもホロコーストには間接的にコミットしている。反ユダヤ主義は二千年にわたる西欧世界全体に根を下ろした現象であり、それほど簡単に特定の歴史的条件に還元することはできない。
私が記述として不十分だなと思ったのは、とりあえずはこの箇所だけである。
私がある程度専門的知識をもっている領域でフクヤマが論及したところはここしかなかった。
それ以外のラテン・アメリカの政治史やソ連東欧の経済史や中国論などについて私はまったくの専門外であるので、フクヤマの記述の当否を判断することができない。
しかし、自分がある程度知っているただ一つの分野での著者の判断に問題があった場合、他の分野でも判断に問題がある可能性はそうでない場合よりも高いと推論することは間違っていない。
でも、コジェーヴのヘーゲル読解を利用する手際にはセンスの良さが感じられる。
もうすこし判断保留して先を読むことにしよう。
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(2005-08-25 17:34)