政治家のことを考えると頭痛が

2005-08-09 mardi

衆院が解散して、9/11に総選挙が行われることになった。
どういう経緯で解散ということになったのかよくわからない。
あまりよく理由がわからないままに国会が解散されて、政治的空白が生じ、争点も何だかよく分からない総選挙を巨額の税金を投じて「できる」というのは、それだけ日本のシステムが効果的に機能しており、政治家なんかいてもいなくても、国会なんてあってもなくても、あまり関係ないということなのであろうから、むしろ言祝ぐべきことかもしれない。
ただ、選挙になるとうるさいのが困る。
うちは駅の前なので、選挙期間になると駅前に何台も宣伝カーが並んで候補者たちが終日がなり立てる。
私はあのような発声法で語る人間を日本語の敵とみなして深く憎んでいるし、白い手袋をはめて窓から手を振るような鈍感さを見るとめまいがするので、選挙期間というのは気分がよろしくない。
政治は変わってほしいと思うのだが、選挙運動はやめてほしい。
苦しいジレンマである。
日本の高等教育の質は世界最低水準であると書いたけれど、考えてみたら、日本の政治家の質もまた世界最低水準であることを忘れていた。
私の知る限りの知的な若者のなかに「将来政治家になりたい」というものは一人もいない。
いったい、どこから候補者たちはリクルートされてくるのであろう。
たぶん非常にせまいエリアの中で「たらい回し世襲」されているのであろう。
鰻屋が「うちは寛永年間から続いた老舗です」と自慢するように、親子代々の政治家ですということを自慢する人がふえてきた。
政治にコミットする資格がある種の「家族の資産」のようなものになって、限定された社会関係のなかを行き来している。
その風通しの悪さのせいで、政治はしだいしだいに「芸能界」に近づいており、政治欄のニュースとワイドショーのニュースの「テイスト」が似てきているのかもしれない。
TVタレントが政治家になっても「さまになる」のは、本質的に似たところがあるからだろう。
日本の政治家の質はこの先どこまで下落してゆくのであろうか。
ふだんは国内政治のことをなるべく考えないようにしているのであるが(考えると気分が悪くなるから)、選挙になると日本の政治家の愚鈍さにダイレクトに直面しなければならないのがほんとうにつらい。
ただでさえ暑いのにね。
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